こんにちは!
今回は,私がいつも心の片隅に置いている詩のご紹介をしたいと思います。
幕末の思想家である吉田松陰が詠んだ漢詩です。
立志尚特異 立志は特異を尚(たっと)ぶ,
俗流與議難 俗流は與(とも)に議し難(がた)し。
不思身後業 身後の業を思はず,
且偸目前安 且(か)つ目前の安きを偸(ぬす)む。
百年一瞬耳 百年は一瞬のみ,
君子勿素餐 君子素餐(そさん)するなかれ。
吉田松陰は今からおよそ160年前の江戸時代末に,長州藩(現在の山口県)に松下村塾という私塾を開いて海外列強からの国防を説いた人物です。
兵学・朱子学・地理学・歴史学といった幅広い学問を教えた吉田松陰は,高杉晋作や桂小五郎,伊藤博文といった,後に明治維新のリーダーとなる人々に大きな影響を与えました。
冒頭の漢詩は明治維新の10年前の安政5(1858)年,門下生の一人である山田顕義が14歳で元服した際,扇に書いて贈ったもので,松陰が大切にした「志」を立てるための心構えを説いたものです。
松陰の教えを守った山田は明治維新後に初代司法大臣を務め,日本法律学校(現在の日本大学)を設立,日本の法学教育の発展に貢献しました。
さて,前置きが長くなってしまいましたが今回のテーマはこの詩の解釈です。
私がこの詩を知ったきっかけは,NHKの歴史番組『その時歴史が動いた』です。
番組では,詩の訳がこのように述べられていました。
志を立てるためには
人と異なることを恐れてはならない
世俗の意見に惑わされてもいけない
死んだ後の業苦を思いわずらうな
また目前の安楽は一時しのぎと知れ
百年の時は一瞬にすぎない
君たちは どうかいたずらに時を過ごすことのないように
私はこの訳に非常に感動し,冒頭に書いた詩の原文を見つけるに至ったのですが,原文を読んで一つだけこの訳の解釈が腑に落ちない箇所がありました。それは下記の箇所です。
不思身後業 身後の業を思はず,
且偸目前安 且つ目前の安きを偸(ぬす)む。
番組のナレーションでは「不思身後業」が「死んだ後の業苦を思いわずらうな」となっていました(Wikipediaでも同様の訳が掲載)。
しかし,私は,この解釈は誤っていると考えます。
カギとなるのは,続く「且偸目前安」の「且(か)つ」です。
これはもちろん「また,〜」と前の内容を受けて続けるための字なので,この2行分はセットとして一繋がりの意味を持っていなければなりません。
よって,ここを番組の訳に合うよう,私なりに解釈すると以下のようになります。
為すべき業を思わずに
目前の安楽を貪るは一時しのぎと知れ
「身後業」とは,自分の生きた時代の後にも長く影響を及ぼす業(仕事)のこと。
「不思」が前に付くと,それに思いを馳せることなく,目先の安楽を求めてしまうということを意味します。
では,このパートの主語はいったい何でしょうか?
そう,直前の「俗流(俗世間の人々)」です。
これを踏まえて詩全体を改めて現代語訳してみるとこのようになります。
志を立てるためには,人と異なることを恐れてはならない。
俗世間の人々と議論をすることは難しい。
彼らは後世に影響を与えるような仕事のことは考えずに,
目前の安楽を求めているのだから。
人生は一瞬に過ぎない。
君たちは,どうかいたずらに時を過ごすことのないように。
松陰が,この詩を元服する山田顕義(当時14歳)に贈ったという背景も重要です。
元服とは武士社会で一人前の大人として認められることです。
松陰は,大人として巣立っていく教え子に激励の気持ちを込めてこの詩を贈ったのです。
人と異なることを恐れずに高い志を立てよ,人生は短いのだから。
山田が後年見事に松陰の激励に応えたエピソードと併せて,私の心に強く残っている名言です。
※松下村塾出身の有名な偉人や,松下村塾の教育の秘密に迫った記事を公開しました!
こちらも併せてお読みいただけますと幸いです。