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【立問人物伝】誰でも買える自動車を!「自動車王」フォードの挑戦

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はじめに

あなたは,「自動車が当たり前でない世界」が想像できますか?
恐らく答えはノーでしょう。
自動車は乗用車からタクシー,バス,トラック,ゴミ収集車…と数えきれないほどの種類があり,私たちの生活に不可欠のものとなっています。

しかし,今日の「自動車が当たり前の世界」は,今から100年以上前に1人の男がいなければあり得なかったかもしれないのです。

その男の名は,ヘンリー・フォード(1863-1947)。

ヘンリー・フォードヘンリー・フォード

今回は,「誰でも自動車を持てる世界」を夢見て走り続けたフォードの挑戦を,彼の立てた「問い」を軸に追ってみましょう。

当サイト・リベラルアーツ研究所では今回ご紹介するような「立問力(問いを立てる力)」をこれからの時代に必須の力と考え,提唱しています。
詳しくは以下の記事をご覧ください!

哲学者
これからの時代の必須スキル「立問力」(問いを立てる力)とは? はじめに 「これからの時代の必須スキル」と聞いて,あなたは何を思い浮かべるでしょうか? 世界中の人と自由に意思疎通できる...

フォードの生涯と「問い」

今から100年あまり前の1908年9月,アメリカの新聞に次のような広告が掲載されました。

馬力があって,速くて,丈夫。
850ドルのこの車は,他のどんな値段の車よりも高品質です。
これ以上の車はないし,作ることもできません。

この広告は,アメリカの人々をあっと驚かせました。
当時,自動車といえば超高級品です。一部の貴族やお金持ちが道楽で購入するものであり,とても庶民が買えるような値段のものではありませんでした。
それが,他社の最安モデルよりさらに数百ドル以上も安い850ドルで売り出そうというのですから,どこの変人がこんな広告を出したのだろうと人々が思ったのも当然でした。

この広告を出した人物こそ,それまで超高級品だった自動車を庶民に普及させて車社会を実現し,のちに「自動車王」の異名を取ることになるヘンリー・フォードその人でした。

ヘンリー・フォードヘンリー・フォード

さて,フォードはそれまで誰にもできなかった「自動車の大衆化」をいかにして実現することができたのでしょうか。
彼の生涯を簡単に追ってみましょう。

誕生〜就職

フォードは1863年7月,ミシガン州デトロイト近郊の農家の6人きょうだいの長男として生まれました。
当時のアメリカは南北戦争で荒れており,かつ西部開拓時代で鉄道が急速に発達し始めていました。

大陸横断鉄道の開通式大陸横断鉄道の開通式(1869年)

農家に生まれたフォード少年は,毎日同じことを繰り返す農作業が大嫌いでした。
彼は,機械いじりが大好きだったのです。
嫌いな農作業関連の仕事でも,農工具の刃先を研いだり,門の蝶番の修理などは喜んで引き受ける少年だったと言います。

28歳になり,既に結婚していたフォードは,田舎の農場を飛び出し,当時最先端のテクノロジー企業だったエジソン・デトロイト電灯会社に就職します。
この会社こそ,あの「発明王」トーマス・エジソン(1847-1931)の会社だったのです。

トーマス・エジソントーマス・エジソン

優秀な電気技師として活躍する傍ら,フォードは彼の人生を大きく変えることになる乗り物に出会います。
それは「馬車」でした。

当時,人々の移動手段はもっぱら馬車でした。
西部開拓に伴い人々の行動範囲も広がり,人々は「より速く,より遠くへ行きたい」という思いを強めていきます。
こうした中で,従来の馬車の改良ニーズが高まります。
人々は一斉に,

もっと速く走る馬が欲しい!
どうしたら「速く走る馬」を手に入れられる?

という「問い」を立てます。
しかし,フォードが立てた「問い」は違いました。

そもそも,馬車は本当にベストな移動手段なのだろうか?

これこそがフォードの人生と,その後の人類史を大きく変えることになる問いだったのです。

フォードと立問力1

独立

フォードの「馬車は本当にベストな移動手段か?」という目のつけどころは,非常に鋭いものでした。
この問いは,そもそも人々が馬車を利用する目的は「より遠くへ,より速く移動すること」であるということを明らかにするものです。

この目的に立ち返った時,馬車の改善点は「速度」に限られません。
例えば,

  • 移動距離が長い場合には馬車を引く馬を定期的に休ませたり,交代させたりする必要がある
  • 排泄物が出て,その処理が大変である
  • 馬の体調などに左右され,常に一定の走行が期待できるわけではない

といった点です。
こうした馬車の改善点は,馬に限らず「生物であること」が原因で生じるものです。
そこでフォードは考えます。

何か,「馬に代わる働きをする機械」を積んだ乗り物があれば良いんだ…そうだ,それは「自動車」だ!

当時,自動車はアメリカ各地の発明家・製造業者らにより少量が生産されていたに過ぎませんでした。
フォード自身も,エジソンの会社で働く傍ら,今でいう副業のような形で独自のエンジン開発と自動車製作を進めていました。

ところが。
会社側は,フォードが副業に勤しむことをやめさせようと工場長の地位をちらつかせ,その代わりに今後一切の自動車製作をやめるよう迫ります。
この頃フォードには妻と幼い息子がおり,給与が大幅アップする工場長就任は非常に魅力的なオファーでした。
しかし,フォードは決断します。
エジソンの会社を辞め,自動車会社設立の道を選んだのです!
1899年,フォード37歳。故郷の農場を飛び出して8年後の夏のことでした。

「自動車王」フォード

さて,いよいよフォードの快進撃が始まる…かと思いきや,そうとんとん拍子にはいきませんでした。
フォードは自分の考えと周囲の意見が少しでも合わないと一緒に仕事ができないと考える,極端な個人主義者でした。
他人との共同作業が苦手な彼は,何度も事業に失敗して会社を潰しています。
レーシングカーの製作などを経て,フォードは自分が作るべき自動車像を徐々に固めていきます。

1900年台初頭,注文を受ければ部品から自動車を製造するだけの技術を持った職人たちは一定数存在し,実際に少数のお金持ちから入る注文に合わせて自動車を製作していました。
こうした状況にフォードは再び疑問を抱きます。

お金持ちだけなく一般人にも手が届く自動車は,どんな自動車だろうか?

フォードが立てた問いは,極めて革新的なものでした。
2人のドイツ人技師,ゴットリープ・ダイムラーとカール・ベンツがガソリン・エンジンを搭載した実用車を独自に製造してから20年以上が過ぎていましたが,自動車業界は常に富裕層を顧客として発展してきたのです。

しかし,フォードはこの問いによって,一般人でも手が届く低価格な「日用品」としての自動車が自らの理想だと明らかにしました。
そして,さらに問いを立てます。

誰でも買える低価格な自動車は,どうしたら作れるだろうか?

人々は「より速い馬が引く馬車」を求めるほど便利な移動手段への需要を持っている。
それにも関わらず自動車が人々に普及していない一番の原因は,やはりその価格の高さです。

ここでフォードは,またしても問いを立てます。

今の自動車はなぜ高いのか?削るべきコストはどれか?


そして,この問いの答えを考えるうち,富裕層向けの自動車が持つ特徴を逆転させれば良いと気付いたのです。
具体的には,

  • 異なる規格・少量生産の高価な部品を使用する
    ➡︎統一規格・大量生産の安価な部品を使用する
  • 熟練の技術を持つ職人が最初〜完成までの全工程に関わって生産する
    ➡︎一定の水準の技術者が細かく区切られた一部の工程にのみ関わって生産する
  • 顧客からの注文があるまで自動車を生産せずに待つ
    ➡︎注文が入る前に一定数の自動車を生産し,自ら顧客に売り込む

といった具合です。
結果的に,統一規格の安価な部品を使用し,技術者には定められた生産工程の一部を担当してもらうことで生産効率が飛躍的に向上し,一定時間あたりに生産できる自動車の台数が激増したのです。

例えば,それまで1時間に1台しか生産できなかった自動車が1時間に10台生産できるようになれば,単純計算で生産コストは10分の1になり,当然販売価格も引き下げることが可能になるわけです。
(特に人件費は生産台数ではなく労働時間に基づき給与が決まる「時給制」で計算されるため,生産台数が10倍に増えても人件費はそのまま据え置き)

大量生産を行うための生産ラインのアイディア自体はフォード以前にも存在しましたが,大掛かりなベルトコンベアまで導入し,工場全体を大量生産のために最適化させたのはフォードが初めてでした。

フォードの工場の生産ラインの様子(1913年頃)フォードの工場の生産ラインの様子(1913年頃)

この大量生産によって実現した販売価格の引き下げは,「アメリカ社会における自動車の普及」というフォードの夢の実現に,凄まじい効果を発揮しました。
この記事冒頭の広告で「馬力があって,速くて,丈夫な850ドルの車」としてうたわれていたのが,フォード社最大のヒット作「フォード・モデルT」です。

フォード・モデルTフォード・モデルT

フォード社はあえて生産モデルをモデルTに絞り込み,1908年から1927年までの約20年間にわたり,ほとんどタイプチェンジをせずに生産を続けました。

その結果,フォード・モデルTは文字通り爆発的に普及します。
アメリカ社会のありとあらゆる人々がモデルTを乗り回すようになり,モデルTは約20年間のうちに1500万台以上を売り上げる大ヒットとなったのです。

大成功を収めたフォードを,いつしか人々は「自動車王」と呼ぶようになりました。

一番大切なのは,大衆の要求に応えて,新しく,より良いものを一般の人々が買える値段で提供することだ。
我々はそういう車を大衆に提供するために,できるかぎり力を尽くしていくつもりだ。
そして,世間の人々もそれをある程度認めてくれるだろうと信じている。

ヘンリー・フォード

逝去

1947年,4月7日。フォード83歳。
一世を風靡したフォード・モデルTの発売から約40年の歳月が経ち,ヘンリー・フォードは,故郷の農場にほど近いミシガン州デトロイト近郊の自宅で最後の時を迎えていました。

モデルTの大ヒット後,会社が大きくなる一方でフォードの前には様々な問題が立ちはだかりました。
単調な生産ラインで働くことに我慢の限界が来た労働者たちとの争い,ライバルの自動車会社の台頭,より洗練されたデザインの自動車の登場,海外進出…。
どれも一筋縄ではいかない問題ばかりでしたが,80歳になってなおフォードは強力なリーダーシップを発揮して会社を導き,年齢を全く感じさせない活躍ぶりを見せました。

フォードが亡くなった日は折しも停電が発生しており,家の中を灯油ランプやローソクの明かりが照らす様子はちょうど,フォードが生まれた83年前とよく似ていたといいます。

一方で,フォードの「自動車を人々に普及させる」という情熱と,類まれな「立問力(問いを立てる力)」のおかげで,フォード登場以後の世界はそれまでと全く異なるものとなりました。

人々はより遠くへ,より速く,より自由に移動できるようになって行動範囲を飛躍的に広げ,新たな交流が生まれました。
83年間,より良い世の中の実現のため,どんな時も全力で駆け続けたフォードの夢は,ここに叶ったのです。

いつの時代の人々も問題を抱えていて,それなりに解決方法を見つけていかなければならないのだ。
我々の父祖たちがおこなった以上に,もっと良い世の中にできなければ,我々は生きている意味がない。

ヘンリ・フォード

フォードの事例から学べること

さて,フォードの事例から私たちはどのようなことが学べるでしょうか。
私は,主に下記のような点が挙げられると考えます。

  1. フォードが成功したのは「皆と違う視点で筋の良い問いを立てた」から
    ➡︎「そもそも馬車はベストな乗り物か?」という根本的な問いが大きな力を持った
  2. 「立問力(問いを立てる力)」と同じくらい,「課題解決力」も重要である
    ➡︎良い問いを立て,その問いに対して論理的に答えを出せたからこそ大衆向けの自動車や大量生産方式といった新しいソリューションを実現できた
  3. 「最初にアイディアを思い付いた人」ではなく「そのアイディアを改良して世の中に広めた人」が成功する
    ➡︎自動車も大量生産ラインも,フォードが自ら発明したものではない。
    革新的なアイディアを自分でゼロから思い付く必要はなく,そのアイディアを改良して自分の目的(ここでは大衆車の大量生産)のために大規模に利用したからこそフォードは成功した

皆さんは,この記事をお読みになってどのようなことを考えられたでしょうか?
リベラルアーツ研究所では,今後も様々な人物やプロジェクトについて,「問い」をキーワードに取り上げていく予定です。

最後までお読みいただき,ありがとうございました!!

参考書籍

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もりお
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猫と糖分を愛する経営コンサルタント