こんにちは、サメの助です。
今回は少し衝撃的な記事のタイトルになってしまいました。
つい最近友達というものについて考えるきっかけがあり、なんとなくGoogleで「友達 いらない」と打ち込んでみたところ、「友達 いらない 病気」とサジェストされました。
気になってそのまま検索してみたところ、このようなYahoo!知恵袋の質問がヒットしました。
こちらは、2011年当時10代のフリーターであった女性からの質問です。
簡単に質問者と回答者のやりとりを要約すると、
といった内容でした。
私もこの質問者の気持ちに共感できる部分があるのですが、おそらく彼女はこの2つの回答に納得していないのではないでしょうか。
実際、Yahoo!知恵袋ではベストアンサーに選ばれた回答にお礼を書くことも多いですが、ここでは特にお礼は書かれていません。
どれほどの人がこの質問者と同じように、友達がいらないというのは病気なのではないか、と思っているのかは分かりませんが、この記事を通して少しでもそういった方の悩みの解決の糸口になったら、と思います。
友達はいらないと感じるのは病気なのか、と悩んでいる人へ
結論から言います。
あなたは病気ではありません。
でも、「もしかしたら病気なのかも」と検索してしまうくらいなので、恐らく何かしらのことが原因で不安になってしまっているのかもしれません。
少年ジャンプは友情・努力・勝利だし、「一年生になったら」という歌では「友達百人出来るかな」と歌わされるし、世間的には「友達いらないなんて普通じゃない、かわいそう、病気だよ」と言われてしまうし。
そしてあなたは、そういった論調に対しても理解があり、その結果として「なんで私は友達が欲しいと思わないんだろう、なんで私は普通とは違うんだろう」と思い悩んでしまっているのかもしれませんね。
人間は社会性の生き物なので、自分の我を通して「私はこう思う」「私はこう生きたい」と強く主張しながら孤高に生きていくことは、なかなか出来るものではありません。
世間の目は気になるし、一人では生きていけないのですから。
ただ、だからこそ、「友達はいらない」ということはなんら異常のない考えなのです。
「友達はいらない」という自分自身の気持ちと世間の「常識」とのギャップで苦しんでいる人がとるべき行動は、次の2つです。
- 家族やパートナーとの時間を大切にする
- 同じ目的を持った仲間を作る
この先では、それぞれの具体的な話をしていきます。
①家族やパートナーとの時間を大切にする
世間の人たちは何故友達を作るのでしょうか?
友達と会って何をするのでしょうか?
私が思うに、友達とは、特に目的もなく関係を継続している、お互いに対して好意的な感情を抱き合っている人たちのことです。
何かの目的を達成するために必要だから会いに行くのではなく、会うこと自体が目的で、会って何をするかはその都度考えるような相手こそが友達だと思っています。
その人じゃないと出来ない時間の過ごし方というわけじゃないけど、その人じゃないといけないような関係。
この定義は世間の人達の言う「友達」からすると狭いかもしれません。
実際、私は「友達」と呼べる人はほとんどいなくて、「高校同期」「ラボ同期」「知人」といった呼び方をします。
そして、上での定義に当てはまる「友達」と呼べる関係の人であれば、もはや「友達」とあえて呼ぶことはしません。
その人自身の個人名で呼びます。
その結果として、私の定義する「友達」に照らし合わされた人は悉く「友達」というくくりから弾き出されてしまい、結果的に私に友達はいません。
さて、少し話が逸れましたが、結局友達とは、その人自身が目的となるような関係性の相手です。
人間は人と繋がりを求めてしまう生き物なので、そういった相手との関係を自然と構築していくのです。
ただ、それはいわゆる「友達」である必要は必ずしもありません。
家族やパートナーなど、自分以外の人間であれば誰でも良いのです。
むしろ、自分が大切にしたいと感じる度合いでいえば家族やパートナーの方が強い人も多いのではないでしょうか。
すると、友達に時間を割くよりも家族やパートナーとの時間を使う方が、より有意義な人生の時間の使い方であると言えるかもしれません。
ただ、家族との折り合いが悪い人もいるでしょうし、パートナーがいない人もいるでしょう。
家族もパートナーも結局のところは他人なので、自分が大切にしたいと感じる相手であるかどうか、という一つの目安でしかありません。
もしかしたら親戚の方が大切かもしれませんし、職場の上司を誰よりも大切に思っている人もいるかも知れません。
そしてこの繋がりは特に今の時代、オフラインに限ったものではありません。
SNSやオンラインゲームなどを通して知り合った人が誰よりも大切な人になるかもしれません。
いずれにせよ、社会性の動物である人間にとって必要となる他人との繋がりを誰と持つか、というだけの話です。
それは友達に限定することなく、自分が大切にしたい人と繋がりを持てばよいのです。
②同じ目的を持った仲間を作る
さて、自分が大切だと思う人との繋がりを持つことが出来たとして、それだけで終えられるほど人間は単純な生き物ではありません。
例えば家族やパートナーなど自分の大切な人との時間を過ごすだけでは満足できないかもしれません。
さらに言えば、同じ人とだけ関わり続けることで価値観が一辺倒になってしまう危険性がありますし、なにより刺激が少ないのでボケる可能性もあります。
ただ、だからといって沢山の人との家族レベルの濃い関係を築く必要はありません。
そもそも家族やパートナーなどを大切にしていたら、さらにそれと同じレベルの関係を築けるほどの時間は残されていませんし、何よりあなたは友達などいらないはずです。
あなたに必要なのは、同じ目的を持った仲間です。
友達はその人自身が目的であったのに対し、仲間はその人自身が目的なのではなく、その人が持っているスキルや経験、人間関係などが目的なのです。
こう書くととても冷たい関係に聞こえるかもしれませんが、例えば趣味で通っているテニススクールで切磋琢磨し合う生徒などは仲間です。
会社のプロジェクトのために結成されたチームを構成する、お互いを補い合うような関係性のメンバー同士もまた、仲間です。
このプロジェクトベースの仲間という考え方は、瀧本哲史さんの『君に友だちはいらない』が詳しいです。大抵の人の生活は、家族との時間、一人の時間、職場や学校での時間、趣味のサークルでの時間など、様々な時間に分割されています。
その分割された時間の中で、目的を持って他人と過ごす時間があるのであれば、そこで仲間を作ることが、より良く人生を生きることに繋がります。
世間的に見ればそれは友達に含まれるかもしれません。
しかし、あくまで「共にテニスの技術を高め合う仲間」「プロジェクトを成功させるために力を貸し合う仲間」といったように、同じ方向を向き、同じ目的を持った仲間なのです。
高校の部活の練習帰りに部活の同期とハンバーガー屋に立ち寄ることにはなんら違和感を抱かないのに、初めて休日に私服でカフェで待ち合わせをすると、急に変な感じがしますよね。
これはおそらく部活という同じ目的で集まった仲間としての関係の延長線上でハンバーガー屋に寄ったか、部活という文脈から完全に切り離して一対一の人間関係がカフェに存在していたか、といった違いから来ているのではないでしょうか。
つまりは、なんらかの目的を共有して集まった人々は友達ではなく仲間であり、そのような人と過ごす時間は、表面的にはいわゆる「友達」とするような内容であっても、「仲間」として集まった延長線上にある限りは「仲間」としてお互いに存在し得るのです。
しかしこれだけでは、友達と仲間との時間の過ごし方の本質的な違いが見えてこないので、友達ではなく仲間を作るメリットが分かりません。
そこで考えるべきはやはり、「どのような目的を持った仲間なのか」という点です。
ここでもう一度復習です。
友達
⇒会うこと自体に目的は必須ではない
仲間
⇒同じ目的を共有することで初めて会うことになる
「仲間」は、あなたがやりたい、達成したい、と思っている何らかの目的を共有している存在です。
それはつまり、あなたが人生の時間を少しでもつぎ込みたいと考えていることに、同じように時間をつぎ込もうとしている人が自然に集まっている、ということです。
その「仲間」と共に過ごし、同じ目的を目指すことに時間を割くことは、あなたがやりたい、達成したい、と考えていることに割り当てる時間の密度を増し、そしてより早く目的を実現することにつながる、とても有意義な時間の過ごし方です。
そう考えるとやはり、友達ではなく仲間を作ることの方がより人生において大切なことだと言えるのではないでしょうか。
まとめ
今回は、友達がいらないと感じることは病気ではないのか、という悩みを抱えている人に向けてピンポイントな記事を書きました。
結論として「友達がいらない」というのは病気ではないし、
- 家族やパートナーとの時間を大切にする
- 同じ目的を持った仲間を作る
といった行動を取ることで悩みも解消されていくはずだ、というのが今回の主張でした。
また、そう考えると、「友達はいらない」という考え方自体にはなんら異常性はなく、自分の大切な時間を友達に割くのではなくもっと他の部分に割きたい、と考えているだけなのだと分かります。
私自身、中学生の時に「友達っていらないよな」と感じてはいたものの、「でもこれは漫画の読みすぎでいわゆる厨二病になってしまっているだけなのでは」と自分自身の考えを否定していました。
高校生の時には「自分はボッチだ」ということを公表して(ブログを書いたりもしながら)ネタにはしていましたが、その一方で、どこかで世間の「普通」からすると自分には友達がいないのは異常だ…と焦ったりもしていました。
そんな私が書いたからこそ、今回の記事の内容はまさにこういった悩みを抱えた人に向けて確実に価値あるものになると信じています。