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【幕末の奇跡】多くの偉人を生んだ松下村塾の教え・秘密とは?有名な塾生も紹介!

こんにちは!
以前,幕末の武士・思想家・教育者である吉田松陰(1830-1859)の名言について記事を書きました。

吉田松陰は,今からおよそ160年前の江戸時代末に,長州藩(現在の山口県)に松下村塾という私塾を開いて海外列強からの国防を説いた人物です。

前回の記事では松陰の名言を紹介したに留まりましたが,今回は

  1. 松下村塾出身の有名人には誰がいるのか?
  2. 松下村塾からなぜ多くの偉人が生まれたのか?

という2つの問いについて答えを探していきます。

松下村塾の塾生たち

吉田松陰像吉田松陰像

ではまず最初の問いである,

  • 松下村塾出身の有名人には誰がいるのか?

について見ていきましょう。
下に,松下村塾の代表的な塾生たちをまとめてみました。

松陰の主な弟子たち
  1. 伊藤博文…初代内閣総理大臣。
  2. 山縣有朋…内閣総理大臣・陸軍大臣などを歴任。
  3. 山田顕義…司法大臣を務める。日本大学・國學院大學の創立者。
  4. 高杉晋作…奇兵隊創立者。
  5. 久坂玄瑞…高杉と並んで「松下村塾の双璧」と称された攘夷志士の中心的存在。
  6. 品川弥二郎…内務大臣などを歴任。獨協大学・京華学園の創立にも関与した。
  7. 木戸孝允…文部大臣などを歴任。西郷隆盛・大久保利通と並んで「維新の三傑」と称される。
    ※木戸は松陰の弟子ではあったが,厳密には塾生ではなかった

ご覧のように,そうそうたるメンバーが揃っています。

高杉晋作や伊藤博文,木戸孝允などの超有名人以外にも,総理大臣や学校創立者などの多さに驚かれたのではないでしょうか。

なぜ松下村塾から多くの偉人が生まれたのか?

松下村塾松下村塾(山口県萩市)

では次に,

なぜ松下村塾から多くの偉人が生まれたのか?

について考えていきたいと思います。

松下村塾は元々,松陰の叔父が開いた私塾でした。
それを松陰が引継ぎ,講師として指導を行っていたのはわずか1年余りの短い期間だったと言われています。

その間に士農工商の身分を問わず,のべ90名の塾生が松陰と共に学びましたが,その中から前述のような偉人が多数生まれたことになります。

学問の中心地でもない地方の,物置小屋を改造しただけの粗末な校舎の私塾から,国全体を動かすリーダーたちが何人も生まれたのはなぜなのか。

結論から述べると,私はこの理由を下記のように考えています。

松下村塾の秘密

以下ではこの理由を,「師・吉田松陰」と「舞台装置としての松下村塾」の2つの観点から詳しく考えていきます。

師・吉田松陰

まずは師匠の吉田松陰の特徴から考えていきます。

理由① 松陰の「人を分析する能力」が非常に高かった

美点凝視

松陰は,塾生個人個人との交流を常に大切にしていました。

そもそも,松下村塾は決まった時間に塾生が集まって松陰が集団授業を行うスタイルではなく,塾生の年齢や興味関心,得意分野などによって松陰が最適なテキストを選び,塾生個人と議論をするのが基本でした。

松下村塾では,兵学・朱子学・地理学・歴史学といった多岐に渡る分野のテキストが使われました。

例:『孟子』『論語』『新製輿地全図』『資治通鑑』『古事記』『日本外史』など

こうして議論を行いながら塾生たちの性格や考え方,能力の特徴をメモしておき,機に応じてそれをフィードバックしていたのです。

例えば,上でもご紹介した初代総理大臣・伊藤博文についてのメモはこんな具合です。

利助(伊藤の幼名)また進む。なかなか周旋家になりそうな

「周旋家」とは,交渉人のような意味です。後に総理大臣となり,外国と数々の重要な交渉を行った交渉上手の伊藤の能力を幼少期に既に見抜いているわけです。松陰の,人に対する分析力の高さが窺えます。

松陰は,こうした塾生それぞれの長所を的確に見抜き,そうした能力の自覚を促しながら,さらに「志」を立てることの重要性を度々説いています。

「あなたにはこういった長所・能力がある。それを活かせるような志を立てなさい」といったことを,伝え続けたのです。

人,賢愚ありといえども各々一二の才能のなきはなし
(『福堂策』より)

人には賢い者も愚かな者もいるが,どんな人でも一つ二つの才能を持っているものだ。
松陰の,終生変わらぬ信念でした。

理由② 松陰自身の志が塾生たちを感化した

エネルギーの高い人

松陰は教育者という印象がありますが,元々は優れた兵学者でした。
また本人は「学問はもちろん重要だが,学びを現実に活かさないことには意味がない」という考え方の持ち主であり,塾生たちに度々「実践」「行動」の重要性を説いています。

そして,塾生たちを鼓舞するだけでなく,松陰自身の問題意識や志を前面に押し出していました。

具体的には,

  • いかに日本を欧米列強の軍事的脅威から守るか
  • 欧米列強のレベルにまで日本を発展させるためにはどうしたらよいか

といったことを最も重要な問題と考えて危機感を抱き,塾生たちと日々議論を行っていました。
松陰自身,ペリーが来航した折には死罪になるのを覚悟で黒船に小舟で乗り込み,西洋社会を学ぶためにアメリカに連れていってくれるよう懇願しています(結局断られたので帰りましたが)

冷静に考えれば,地方の一武士に過ぎない松陰が,日本の外交をどうすべきかといった全国レベルの問題を真剣に論じること自体が,実際に問題に対処している幕府の役人などからしてみれば奇妙に思えたかもしれません。

しかし,そうした社会全体が抱える問題を「自分事」として捉えて改善を真剣に考え行動する松陰自身の「志(熱,エネルギー)」が塾生たちを大いに感化したことは間違いないでしょう。

舞台装置としての松下村塾

では次に,松下村塾という舞台の果たした役割について考えていきます。

理由③ 生きた情報が集まる場所だった

アンテナを立てる人

前述のように,「現実をより良くする手段」として学問を捉えた松陰の下,松下村塾では常に生きた情報を収集することが重視されました。

松陰は,「飛耳長目(ひじちょうもく)」と呼ばれる情報ノートを用意しました。

飛耳長目
➡︎「遠くまで耳を飛ばし,目を長くする」という意味で松陰が名付けた情報ノート。
 松下村塾のある長州藩(現在の山口県)から外に出かける機会を得た塾生たちに頼んで,江戸や京都などの大都市の情報や,さらには海外事情まで様々な情報をこのノートに蓄積し,塾生たちが自由に回覧できるようにした。

当時は,全国が約270の藩に分けられており,藩の外に出るということは,今でいう海外旅行のような感覚でした。

そんな時代にあって行政機関でもない私塾にこうした情報が蓄積されていたのは驚きです。

こうした仕組みの存在が,塾生たちの視座を飛躍的に高めたのは想像に難くありません。

理由④ 圧倒的な当事者意識が生まれる環境だった

圧倒的な当事者意識

前項で述べたように,松下村塾は最新情報が集まる環境ではありましたが,もちろん松陰の目的は単に情報を集めることではなく,それを基に議論を行い,現実を変えていくためのアクションを起こすことでした。

前述のように松下村塾は決まったカリキュラムやテキストがなく,個々人の興味や能力に応じて松陰が教材を選び,松陰との一対一の議論や塾生同士での議論を繰り返します。

技術や物量をはじめとして何もかもレベルが違う海外列強の脅威が迫り,日本が植民地になってしまうかもしれない。
実際に当時,アジアの隣国である清国(中国)がアヘン戦争に破れて欧米列強の植民地にされかけていたことから,松陰や塾生たちの危機感は実感に根ざしたものだったはずです。

そうした社会全体への問題意識を前提とした上で激しい議論が日々戦わされるということは,塾生それぞれが下記三点を常に考えざるを得ない環境に置かれることを意味します。

  1. あなたは何ができるか (能力)
  2. あなたは何を為すべきか (志)
  3. 志の実現のため,あなたはどう動くのか (行動)

そもそも,学習した内容を答案上で再現することがメインの現代の筆記テストとは違い,「インプット(学習内容)」と「アウトプット(議論)」の間に大きな差があるわけですから,イヤでも自分の頭で考え,表現することが求められるわけです。

こうした環境の下,圧倒的当事者意識が醸成され,塾生各自が自らの強みに磨きをかけることになっていったと考えられます。

また,そうした当事者意識の塊のような人たちが集まることで「あいつがやるんだから,自分も!」といった,エネルギーの相乗効果も生まれていたはずです。

理由⑤ 新しい「場」を作り出すリーダー気質が育まれた

若いリーダー

最後の理由として注目すべきは,前項のような当事者意識が鍛えられ続けたが故に,最終的に,塾生たちが新しい「場」を作り出すリーダーとして成長したことです。

冷静に前述のメンバーたちの顔ぶれを眺めてみると,明治維新後まで生き残った全員が明治新政府の重要なポストを占めていることに気付きます。

「幕府を倒した側なんだから当たり前」と言ってしまえばそれまでですが,既存の行政組織である幕府の中で出世することを選んだ塾生が1人もいないことは非常に示唆的であると私は考えます。
(あくまで軍事衝突を避け,幕府を解体せずに内側から建て直すというアプローチも一手ではあるのですから)

つまり,明治維新を通じて自分たちの理想を形にすることにこだわり続けた彼らだからこそ,新しい「場」である明治新政府を作り,かつそのリーダーとしてその後も手腕を振るうことができたのです。

仮に塾生たちの目的が新組織を作り出して理想を実現することでなく,既存組織である幕府の中で出世することだったならば,出る杭として幕府幹部たちに早々に潰されていたことでしょう。

まとめ

今回は,松下村塾の代表的な塾生たちと,なぜ松下村塾から優れたリーダーたちが何人も生まれたのかについて考えました。

今回考察した,松下村塾から多くの偉人が生まれた理由を再掲すると下記のようになります。

吉田松陰と松下村塾,そしてそこから生まれた塾生たちの物語は,現代の組織を考察する上でも多くの示唆に富んでいます。

これからも,歴史上の人物や組織から現代に活かせるエッセンスを取り出す研究を続けていければと思います。

最後までお読みいただき,ありがとうございました!!

参考書籍

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永遠に実らない猫への愛を抱き続ける経営コンサルタント