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非アカデミア志望の理系が修士課程に進学するメリット・デメリットを東大生が解説

非アカデミア志望の理系が修士課程に進学するメリット・デメリットを東大生が解説

こんにちは、現役東大理系大学院生のサメの助です。

現在は修士課程の2年生で、卒業後は博士課程へは進学せず、そのまま4月から一般企業に総合職で就職します。

先日、修士論文の提出と発表を終え、残るところはサンプルと資料の整理、そして原著論文の投稿のみとなりました。

…のみ、と言っても、まだまだ大変なことが山積みなわけですが…笑

さて、一応修士課程として最低限必要なことは全て終えたので、修士課程の2年間を振り返って、私のような非アカデミア志望(学問領域に残る意志がない)が修士課程に進学することのメリットとデメリットをまとめてみようと思います。

非アカデミア志望の理系が修士課程に進学するメリット・デメリットを東大生が解説

非アカデミア志望の理系が修士課程に進学するメリット・デメリットを東大生が解説

この記事では、極力一般化して書くように心がけてはいますが、私の状況に沿った内容になっていますので、立場が偏っていること、そしてそれ故バイアスがある程度かかってしまうことはご了承ください。

非アカデミア志望の理系が修士課程に進学するメリット

学問領域に残る意志がない人が修士課程に進学するメリットは、次の3つです。

メリット①今後あまり関わらない人種の考え方や性質を知れる
メリット②仮説・検証・改善のサイクルとその思考法が身につく
メリット③情報収集・整理・文書執筆能力が鍛えられる

それでは、1つずつ解説していきましょう。

メリット①今後あまり関わらない人種の考え方や性質を知れる

アカデミアに残らないのであれば、大学院生や教職員などとは、基本的には今後関わる機会はほとんどありません。

もちろん、個人的な関係として、会って話をしたり遊んだりすることはあるかもしれませんが、例えば一緒に仕事をするとなると、共同創業でベンチャー企業を立ち上げる、といったことがない限り、ほとんど機会はないはずです。

理系の大学院では、各研究室ごとに教授もしくは准教授をトップとしたピラミッド構造が存在していて、助教授、ポスドク、技術職員、秘書、大学院生が研究室に属しています。

教授は基本的には自分で研究をすることはなく、研究テーマを考えて学生やスタッフに実験を行わせて、自身は学会での運営や発表、そして研究資金を集めることを仕事としています。

それ故、研究室は教授のもつ研究テーマが支配的で、各教授・准教授はその研究分野の第一人者です。

つまり、一流の人間なのです。

一流の人間が人生を捧げた研究というものに対してどのように向き合い、考えているのか、を知ることが出来るのは、やはり研究室に入ることならではのチャンスなのではないでしょうか。

研究室と教授の関係性は、規模感や裁量、資金の動きなどの観点から、ベンチャー企業とその経営者の関係によく似ています

しかし、一般的なベンチャー企業と比べると、研究室ではトップとの距離が、より近いのではないでしょうか。

トップに立ち、走り続けている人間の近くに簡単に入り込み、直接指導を受けられる環境、そしてトップの考えを知ることが出来る環境。

その環境に身を投じることが出来る、ということが理系が大学院に進学する大きなメリットの一つです。

学部でも研究室に所属することはもちろん出来るのですが、学部生と大学院生では一般的に研究のレベルが異なり、修士学生の方がより本格的な研究を通して、教授の本当の姿に触れることができるのだと思います。

メリット②仮説・検証・改善のサイクルとその思考法が身につく

メリット②仮説・検証・改善のサイクルとその思考法が身につく

理系の大学院生は、とにかく実験をする必要があります。

化学・生物などの実験系の研究室であれば、特に実験が重要です。

そして、実験を外注することはほとんどなく、自身で実験を行う必要があります。

実験は、試薬の値段を考慮したり、かかる時間を考慮したりする必要があります。

つまり、より最適な実験計画を立てて実行し、その結果を元に次の実験を設定し、また実験を行う、というサイクルを何度も回す必要があるのです。

限られた時間の中で成果を出すために最適なアクションを考え、動きながら改善し続ける、という、どのような領域で成果を出すためにも必要なことが自然と身につくのです。

また、そのために必要な思考法も同時に身につけることが出来ます。

学生という身分でありながら実行面ではほとんど全ての裁量をもって自身の研究に向き合うことになるため、こういったスキルや思考法が身につくのです。

それらは、社会に出てからもきっと役に立つはずです。

私はまだ社会に出たことはないんですがね笑

メリット③情報収集・整理・文書執筆能力が鍛えられる

研究とは、人類の知識の最前線に立って、人類の知識がカバーする領域を少しだけ押し広げる行為です。

つまり、誰かが既にやったことと全く同じことをやることにはなんの意味もなく、何か新しいことをしなければいけないのです。

そのためには、過去の研究や現在活発な研究など、自分の研究に関連する領域の知識を網羅的に収集・整理する必要があります。

さらに、新しいことをするためには新しいアイディアが必要です。

その新しいアイディアは、自分の研究領域とは全く別の領域からもたらされることがしばしばです。

そのため、自分の研究とは少しかけ離れた領域の知識も必要となるのです。

そういった広い領域の知識を手に入れようと足掻くうちに、短い時間で効率的に情報を収集し、整理する力が自然と手に入ります

また、大学院生は修士論文や原著論文の執筆を通して、膨大なデータを整理して論理的な結論を導く、という経験をします。

ここでもまた情報収集・整理の能力と、そしてさらに文書執筆の能力が鍛えられるのです。

私は修士論文を英語で執筆し、これから原著論文を執筆するのですが、原著論文もまた英語です。

このように、英語で文章を書く機会に恵まれることも、大学院生の特徴なのかもしれません。

非アカデミア志望の理系が修士課程に進学するデメリット

学問領域に残る意志がない人が修士課程に進学するデメリットは、次の3つです。

デメリット①学部卒の人に対して2年間の遅れをとる
デメリット②余計な出費が必要となる
デメリット③精神的に病んでしまう可能性がある

それでは、1つずつ解説していきましょう。

デメリット①学部卒の人に対して2年間の遅れをとる

これは、人によって感じ方は異なると思います。

なんなら私は大学の4年間ですら必要だったかと聞かれると悩んでしまうくらいなのですが、学生ということそれ自体に価値を感じる人もいることでしょう。

しかし、私のように修士課程を卒業してもその専門性は全く生かさず、総合職で就職する場合は、この2年間は本当に必要だったのか、と言われると答えに窮してしまいます。

確かに、修士課程に進学したからこそ多くのことを経験し、多くのことを身につけることができました。

しかし、それは本当に社会人になってからでは身につけられないものだったのでしょうか

そして、失った2年間をそのまま社会人として過ごすことが出来ていたとしたら、今後キャリアを積んでいくために必要な多くの経験を得られたのではないでしょうか?

そう考えてしまうと、この2年間は無駄だった、単なるビハインドとなっただけだった、と言わざるを得ないようにも思えます。

デメリット②余計な出費が必要となる

デメリット②余計な出費が必要となる

修士課程に進学することで、当たり前ですが、2年分の学費、生活費などの出費が余計に生じます。

修士課程に進学することに対して本当に意味を見出していれば問題ないのですが、修士課程への進学に少しでも疑問があるとすると、この2年間分の出費は金額上の痛手はさしてないとしても、精神的に大きな苦痛となるのです。

私は、研究で圧倒的に大きな成果を残すわけでも、研究で得た専門性を生かして就職をするわけでもないのに、2年間分の余計な出費を親にさせてしまったことに対して、ずっと心苦しい思いをしています。

特に修士1年生の間は毎月の家賃の支払いに加えて仕送りももらっていたため、本当に後ろめたい気持ちになっていました。

いくつかの収入源を得ることで2020年に入ってからは仕送りをもらわずに生活することが出来るようにはなりましたが、学費や家賃は親の負担であるため、非常に肩身の狭い思いをしていました。

かといってアルバイトをするわけにもいきません。

単にお金を稼ぐためのアルバイトは、せっかく親が高いお金を出して提供してくれた時間を、安い金額で切り売りする行為です。

そのため、多くの時間を研究に費やして成果を上げる他はなく、私は時には研究室に寝泊まりして、研究に打ち込みました。

しかし、心の奥底には研究に対する冷めた気持ちがどっかりと座っていて本気になり切れず、最後まで惨めな気持ちが解消されることはありませんでした。

デメリット③精神的に病んでしまう可能性がある

デメリット③精神的に病んでしまう可能性がある

大学院生が精神的に病む確率はそれなりに高いように感じています。

私の所属する研究室でも、精神的に病んで1年以上の休学・もしくは不登校になった学生が現役の大学院生だけで3人いますし、私を含む数人の学生は精神的に不健康になったせいで数日から数週間研究室に顔を出せなくなることもありました。

社会人として生活したことがないので社会人になったら病まないのか、と聞かれるとそれは分からないのですが、少なくとも学部学生と比べると病んでしまう可能性は比較的高いと思っています。

その原因は各研究室の環境などによって左右されるものは大きいと思いますが、デメリット①②で挙げたようなこととも大きな関係があると思います。

そして、大学院という立場の特殊性も関係してきます。

大学院生は教授が調達してきた資金を元に研究をし、その成果が教授のものとなることで、教授の評価に影響し、ひいては教授の賃金に繋がります。

しかし、教授の成果を作り上げるという重要な仕事を担っている大学院生には、直接賃金が支払われることはありません

各種奨学金の審査に通ることで賃金を得ることはもちろん可能ですが、とても仕事内容に見合った報酬が与えられているとは言えません。

研究が全てであるのに、研究の成果は教授のものとなり、報酬も満足に支払われない。

このような立場は、精神衛生上あまりよろしくないのは明白です。

学費を払って教えを請う立場ですから、当たり前のことではあるのですが、とてもデリケートなバランス感であるように思います。

私はとにかく、全く世の中の役に立たず、自分自身も興味がなく、経済的にもなんの価値もない研究に時間を投じていることが苦痛でした。

そのように感じている人も一部にはいるのだと思います。

まとめ

まとめ

アカデミアに残るつもりのない理系学生が修士課程に進学することのメリットは、

メリット①今後あまり関わらない人種の考え方や性質を知れる
メリット②仮説・検証・改善のサイクルとその思考法が身につく
メリット③情報収集・整理・文書執筆能力が鍛えられる

デメリットは、

デメリット①学部卒の人に対して2年間の遅れをとる
デメリット②余計な出費が必要となる
デメリット③精神的に病んでしまう可能性がある

でした。

私自身は、修士課程に進学したことが本当によかったのかどうか、今のところはまだ結論を出せていません。

それは、他に選択肢がないから修士課程に進学した、という背景があったからです。

私は大学4年間の中で将来を考えることは一切行わず、気がついたら就活シーズンは過ぎ去っていました。

いや、もはや就活のチャンスを逃したことにすら気がついていませんでした。

「理系は大学院に進学するものでしょう」という固定観念のもと修士課程に進学し、就職活動をし、自分がいかに自分の人生に対して無責任に生きてきたかを思い知りました。

まだまだ私の人生に沢山時間が残っていると仮定すると、2年間という時間は短いものです。

しかし、この2年間で得た経験が人生にとって価値あるものだったのかどうか、それが分かるのはまだ先のことだと思っています。

逆に言うと、この2年間で得た経験・教訓を無駄にしないように生きていくことこそが大切なのかもしれません。

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サメの助
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研究中心の生活の中で趣味を探し続ける悲しきモンスター