民俗学

葬式に宗教は元々関係なかった!?現代の葬式に対する向き合い方とは

葬式に宗教は元々関係なかった!?現代の葬式に対する向き合い方とは

冠婚葬祭という言葉がありますが、そのうち「葬」にあたる葬式は、日本では多くは仏教的なスタイルで執り行われます。

日本では浄土真宗が約20%と最も宗派の割合が多いとされていますが(*1*2)、普段から宗派を意識して生活している人は少なく、遺族・参列者となったときにようやく「うちの宗派はなんだったかな」と考える人がほとんどなのではないでしょうか。

このように、葬式と仏教は強く結びついているという大前提があり、その上で宗派などの議論がなされますが、そもそも葬式と仏教との結びつきは根源的なものではない、ということは忘れ去られてしまっているように思います。

また、葬式と仏教との結びつきの強さから生まれる格式張った葬式の結果として、葬式という儀式にこめられた本来的な意味が希薄化してしまっている節もあるのではないでしょうか。

今回は、葬式の歴史を紐解く中でなぜ現代のような仏教的な形式張ったスタイルに落ち着いてしまったのか、そして現代ではどのように葬式に向き合うべきなのか、ということについて考えていこうと思います。

近代以前と近代以降での葬式のスタイルの変化

近代以前と近代以降での葬式のスタイルの変化

現代にまで続く葬式のスタイルは、実は完全に伝統的なスタイルではなく、近代化された結果として残ったものなのです。

近代以前と近代以降での葬式のスタイルがどのように変化してきたのか、ということを確認してみましょう。

近代以前の葬式の流れ

現在の葬送儀礼は、遺体の火葬から収骨するまでの「葬式」と、遺骨を墓に納める「納骨」までの二段階からなっていますが、昔はこれをひとつの流れで行っていました。

遺体を洗い清める湯灌をした後に一晩付きそう通夜を行うところまでは現在と同じですが、その翌日が現在とは異なり、

  1. 自宅での焼香・出棺
  2. 葬列をつくって檀那寺や墓地へと向かう野辺送り
  3. 寺で僧侶が読経をしてから埋葬(土葬)

という手順でした。

現在と異なるポイントと、変化の理由

昔の葬式のスタイルのうち、特に現在と違うポイントが2つあります。

②で野辺送りをしていること、そして③で火葬でなく土葬していたことです。

まず②の野辺送りですが、昔のドラマなどで見かけることはあるものの、現代において見かけること、ましてや参加することはほとんどありません。

死者を寺や墓地まで運ぶ葬列では、参列者には様々な役割が与えられていました。

またその規模もすさまじく、富裕層であれば数百から数千人、岩崎弥太郎の葬式では七万人もの大行列となったそうです。

しかし徐々にその行列の規模や派手さを競うようになってしまい、死者を弔うという本来的な意味から離れてしまったことに対する批判や、費用と時間がかさむという問題点から大正期には廃れていってしまいました。

また、人力車や路面電車が行き交うようになったという交通事情の変化も野辺送りの衰退に関係していたと考えられています。

その結果として霊柩車が発明され、野辺送りの代わりとして現在にまで引き継がれています。

次に③の土葬についてですが、江戸時代には大部分は土葬をしていました。

ところが、明治30年代頃から都市部の人口増加に伴い土葬の場所の確保が難しくなってきたという状況が火葬への移行を後押しし、大正4年に近代的な火葬炉が登場したことにより一気に火葬の割合が増え、戦後の1955年では火葬率は54%にまで増えました。

葬式が近代化した瞬間

野辺送りや土葬といった葬式の中の一つ一つの内容は、人口増加・交通事情の変化・世論の変化といった社会自体が近代化することに伴って変わってきたことがわかりました。

それでは、現在まで続く近代的な葬式の、全体的なスタイルが生まれたのは、どの瞬間なのでしょうか?

現在では葬式と告別式はひとつづきになっていますが、厳密には親族の焼香までの葬式と、一般会葬者の焼香による告別式の2つに分かれています。

この告別式こそが近代の発明でした。

1901年、思想家の中江兆民の葬式において、告別式が初めて行われました。

無神論者の兆民は大げさな葬列を組んで練り歩く仏式の葬式を好まなかったためすぐに火葬するようにと遺言を残していましたが、それでは多くの人々は兆民に別れを告げることができません。

そこで遺族と友人、弟子らが相談し、お別れ会的な意味合いを持つ告別式を開いたのです。

つまり告別式は宗教に根ざしたものではなく社会的な儀式であると捉えることができますが、それでも葬式自体は宗教行事であることに変わりはなく、仏教的な要素が色濃く残ることになりました。

葬式と仏教が結びついた歴史的背景

葬式と仏教が結びついた歴史的背景

無神論者の中江兆民の弔いの中で発明された告別式をもってしても尚葬式は仏教的なものでした。

このように葬式と仏教は切っても切れないほどの強い結びつきをもっていますが、その結びつきは江戸時代に生まれたものでした。

葬式に仏教が結びついたきっかけ

元々仏教には葬式という発想はなく、江戸時代以前は宗教者が介入しない形式で執り行われていました。

しかし、江戸幕府がキリシタンの弾圧のために設けた寺請制度がきっかけとなり、仏教と葬式が徐々に結びついていくことになりました。

寺請制度により日本人全員が近くの寺に帰属することになり、また同時期に僧侶が寺に定住し、葬式に関与するようにもなりました。

つまり当時の仏式の葬式には伝統的な背景はなく、式次第自体はキリシタンの葬式に学んだとする説すらあります。

しかし、その後仏式の葬式は独自の発展を遂げ、1700年頃には位牌、仏壇、戒名といった制度が導入され、葬式と仏教を結びつける様々なルールが生まれました。

そのような結びつきが強固になった背景としては、寺に睨まれることを恐れた人々が寺に従った、という点と、本末制度という本寺を頂点としたヒエラルキーに従って、寺は本寺に納める上納金をおさめなければいけないため葬式と法要を経済基盤にした、という点が挙げられます。

2点目の経済的理由があるからこそ寺は葬式に介入し続け、人々はそれに従った、という構造から考えると、葬式と仏教が結びついたのは、宗教的な理由よりも、経済的な理由によるところが大きかったのだと考えられます。

葬式を仕切っていたのは「葬式組」

民間の儀式であり、本来は仏教とは関係のなかった葬式に寺が介入してきたということを書いてきましたが、それ以降であっても、寺が葬式を取り仕切ることはありませんでした

これは現在に照らし合わせて考えてみても分かると思いますが、葬式はあくまで葬儀屋が仕切って、その儀式の一環として僧侶を呼ぶ、という構造と同じであると言えます。

江戸時代当時であっても同様で、「葬式組」と呼ばれる村落共同体の中のグループが葬式を取り仕切っていました。

お互いの葬式を手伝い合う相互扶助の関係である葬式組と、葬式そのものは、当時の共同体にとってとても重要な役割を果たしていました。

村の掟を破った家との付き合いを絶つ「村八分」という言葉がありますが、残りの二分のうちの一分は葬式だったと言われているほどです。

いずれにしろ、このような村落共同体にとって非常に重要な意味を持っていた葬式と、それを執り行う葬式組の関係に、後から仏教が入ってきたという歴史的背景があります。

その結果として、仏教介入以前からのしきたりと仏教の介入によって生まれたしきたりが渾然一体となった葬式のスタイルが現在まで引き継がれているのです。

まとめ

まとめ

今回は、現代において当たり前に執り行われている葬式のスタイルが、実は近代以降に確立したものだということ、そしてそもそも近代以前では、江戸時代に仏教が介入するまでは宗教行事としての意味合いがなかったということを書いてきました。

また、江戸時代以降に寺が葬式に深く関与するようになったのは経済的理由によるところが大きいということ、そして近代以降の宗教のスタイルが確立したのは、社会全体の近代化という土台の上で中江兆民の葬式の際に告別式が発明されたことがきっかけだということが分かりました。

このように、宗教的に決まり事が多数存在し、厳かに執り行われているように思える葬式ですが、実際には寺のビジネスや当時の合理性に則って形を変えてきたものなのです。

そして現代においても寺や葬儀屋のビジネスは脈々と続き、我々もその流れに従って葬式を行っています。

その昔は相互扶助の関係の中で自分たちで葬式を取り仕切り、死者を弔っていましたが、今となってはその弔いの気持すらビジネス的に決められた枠組みの中に落とし込まれているようにも思えます。

確かに決まりきった形式で葬式をすることが遺族・参列者・介在人の全てにとって都合がよく、それを続けること自体には合理性はありますが、その枠組に従って葬式を正しく遂行することに重きが置かれすぎて、本来大切にすべき死者への弔いの気持ち、そして生物としての「ヒト」の死を、社会的・文化的存在である「人間」の死へと昇華させるための儀式が葬式であるという認識が薄れてきてしまってはいないでしょうか。

決して現在の形式を崩す必要はないとは思いますが、今一度葬式にはどのような歴史的背景や意義があるのか、ということを認識した上で、形式に縛られず自分自身の気持ちをもった上で葬式に向き合うことが現代において大切になってきているのではないでしょうか。

参考書籍

ソース

*1家族葬のひびき

*2「仏壇・位牌の整理」をしたい人向け、お役立ち情報サイト

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研究中心の生活の中で趣味を探し続ける悲しきモンスター