メリークリスマス!
こんにちは、元クリスマス大好きっ子のサメの助です。
先週、いかにクリスマスが特別かを熱く語った記事を公開しました。
今回はクリスマスというイベント全体を通してとりわけ印象的なクリスマスツリーが、どういった歴史、由来、起源を持つのか、といったことについて書いていこうと思います。
クリスマスといえばサンタクロース!と思う方もいらっしゃるかもしれません。
確かにそれも一理あります。
しかし、大人になってからサンタクロースに遭遇する機会はそう多くはなく、サンタクロースの来訪によりクリスマスを実感するのではなく、むしろクリスマスツリーを目にすることによってこそクリスマスを感じることの方が多いのではないでしょうか。
また、子供のときにクリスマスというイベントに参加する際、サンタクロースに関して子供がとれるアクションは、欲しい物を公言して良い子にして待つ、というなんとも受動的なものに限られます。
一方クリスマスツリーは子供が飾り付けを率先して行うことができ、クリスマスに対して主体的に関わることができる機会の一つです。
そういう意味でもクリスマスツリーはクリスマスを象徴するものだと言えるのではないでしょうか。
ちなみに子供のとき、私はクリスマスツリーを自ら飾り立てるだけでは飽き足らず、家族で過ごすためのクリスマスパーティーを一人で企画・開催し、プログラムや催し物などを考えて楽しんでいました。
今思い返すとよくもまあ家族は付き合ってくれたものだ、と思いますが、とにかく子供にとって主体的にクリスマスに関わりたいという意志は強いの(ではないかと個人的な体験から勝手に思い込んでいるの)です。
クリスマスツリーの歴史、由来、起源とは?3段階で解説してみた!
クリスマスツリーは特に若い世代からすると、毎年同じように目にするものなので、どのような変遷を辿って現在の姿に至ったのか、ということを意識する機会はなかなかないのではないでしょうか。
この記事では、クリスマスツリーを次の3段階に分けて解説していきたいと思います。
- 異教時代の魔除け
- 異教時代の慣習のキリスト教化
- ツリーの飾り付けの誕生
※私は特にキリスト教徒というわけではありませんが、この記事ではクリスマスをキリスト教のイベントであると捉え、あえて「異教」という言葉を用います。
①異教時代の魔除け
クリスマスツリーの歴史を遡ると、その発生はキリスト教とは別のルーツがあることが分かります。
キリスト教以前の異教時代に、冬至の魔除けとして常緑樹を家の内外に飾った習慣を起源としているのです。
ちなみに当時に実際にモミの木もしくはドイツトウヒを使用していたのはオーストリアの一部やアルザス地方(フランスのドイツ国境寄り)など限られた地域でした。
ドイツ東部ではセイヨウイチイ、南西部のシュヴァーベンやファルツといった地域ではツゲ、スイスではセイヨウヒイラギが用いられていました。
②異教時代の慣習のキリスト教化
異教時代に魔除けとして樹木を飾る慣習は、中世が終わる頃にキリスト教化されてキリストの降誕祭と結び付けられ、クリスマスツリーとしての歴史が始まることとなりました。
キリストが生まれた瞬間に植物が花開く、という伝説を元に、人々はクリスマスにキリストのこの世への来臨を祝福する聖なる夜を過ごしていたのです。
どういうことかと言うと、実際にクリスマスの日に樹木を花開かせていたようです。
クリスマスの日に花を咲かせるために、クリスマスの数週間前からリンゴや桜の枝を水にさしておく、といったことをしていたのです。
他にも白樺や樫、ツゲやビャクシン、そしてモミなどの常緑樹が好まれました。
普通は花が開いたり緑色の枝だったりといった自然の目覚めは春を連想させますが、冬の寒い時期にその生命の息吹を感じることで、よりキリストの降誕祭を神聖なものにしていたのだと考えられます。
16世紀初頭以降のアルザス地方などでは、クリスマスに家々や同業者組合の集会所を飾り付けるために森のモミの木が次々と伐採され問題となり、森を守るための監視官の仕事が生まれたほどでした。
ただ、この時代においては、クリスマスツリーはあくまで異教の慣習をキリスト教が取り込んだに過ぎませんでした。
キリストの降誕を祝うための木としてのクリスマスツリーではあるものの、クリスマスツリーそのものに対するキリスト教的意義はとりわけ強かったわけではないのです。
しかし、1600年の記録によると、アルザス地方のとある集会所に立てられたモミの木のクリスマスツリーにリンゴとホスティア(聖餐式のパン)といった飾り付けがなされており、クリスマスツリーがキリスト教徒にとってより意味深いものになってきていたことがうかがえます。
③ツリーの飾り付けの誕生
1600年の記録の中のクリスマスツリーの飾り付けに、キリスト教的な要素が確認できる、ということを書きましたが、異教的慣習の延長線であった時代から明確な区分をもって完全にキリスト教的なシンボルになったわけではありません。
異教的な慣習を引き継いていた時代と、キリスト教的な要素がツリーに加わっていった時代とが並列していた時期もあったのです。
逆に言うと、この後から加わった要素、つまりはツリーの飾りつけの部分にこそキリスト教的な要素をより強く認めることができます。
前節でも既に述べましたが、クリスマスツリーの飾りつけのリンゴやホスティアなどの飾り付けの登場こそが、現代にまで伝わるクリスマスツリーの固有の歴史なのです。
それでは、ツリーの飾り付けはどこにルーツを持つのでしょうか?
それはずばり、クリスマスイブの夜に降誕祭の序幕として、教会の正面玄関前で演じられた「神秘劇」です。
この劇は楽園における堕罪の物語(アダムとイブが罪を犯して楽園を追放される物語)を演じたものでしたが、その舞台にはアダムとイブの罪の誘因となった果実を沢山つけた例の木が立てられていたのです。
聖書にはその木の種類についてまでは言及されていませんので、地域ごとに異なった樹木が使われていましたが、ドイツではリンゴの木が用いられ、リンゴが「禁断の木の実」として定着していきました。
しかし、花の咲いているリンゴの木をクリスマスイブに見つけることは難しかったため他の木を探し、常緑樹のモミの木が使われるようになったそうです。
異教時代からモミの木を使っていた地域があったことは既に述べましたが、そのことも関連していたのでしょう。
とにかく、クリスマスツリーはリンゴを飾り付けることで、楽園の木へと昇華させられることとなったのです。
また、リンゴと同時にホスティアも飾られることがほとんどでしたが、ここには、人間を死へと導くリンゴに対置して、生命を与えるパン(罪の許しのために捧げられたキリストのからだを意味する)を飾り付けた、という意味が隠されているのです。
実際、クリスマスツリーそのものが、キリストをはりつけにした十字架と結び付けられたこともあったようです。
まとめると、クリスマスツリーはアダムとイブが罪を犯すきっかけを意味すると同時に、キリストがその罪をあがなうために犠牲となったという意味合いをも持ち合わせているのです。
まとめ
クリスマスツリーは、大きく分けて3段階の歴史的変遷を辿って現代にまで繋がっています。
古くは異教時代に冬至の魔除けとして用いた樹木がキリスト教化され、キリストの降誕を生命の神秘とともに祝うために桜やリンゴ、そして種々の常緑樹が用いられていました。
しかしその時点では厳密にはクリスマスツリーはキリスト教的なものではありませんでした。
クリスマスツリーをキリスト教的な要素として決定づけたのは、クリスマスイブの夜に教会の前で行われる「神秘劇」でした。
ここでは、アダムとイブが罪を犯したことを象徴するリンゴと、その罪をあがなうためにキリストが犠牲となったことを示すホスティアの両方をモミの木に飾り付け、これこそが今日にまで繋がるキリスト教的なクリスマスツリーなのです。
その後リンゴはガラス細工、ホスティアはクッキーなどに変化していき、徐々に飾り付けはその本来持ち合わせていた意味合いを失い、単なる装飾の1つになっていきました。
リンゴの代わりに現在はオーナメントボールが用いられていて、こちらは非常に馴染み深いですよね。
実際には現代のクリスマスツリーの飾りつけの1つ1つに対してキリスト教的な背景を感じ取ることは難しくなっていますが、その歴史的な背景を知った上でクリスマスツリーを見ることで、よりツリーの特別感が増すのではないでしょうか。