アート

なるほど名画解説!−ルノワール『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』−

作品プロフィール

タイトル:『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』
作者:ピエール=オーギュスト・ルノワール
制作年代:1876年
場所:オルセー美術館(フランス)
技法:油彩

はじめに

広場のような場所に集まる,多くの人々。
ある人は踊り,ある人は話し込み,またある人は物思いに耽るように木にもたれ…と思い思いに過ごしており,今にも賑やかな声や音楽が聞こえてきそうです。

さて,この絵はどんな場面を表しているのでしょうか?
そして,この絵にまつわる謎とは?

解説

この絵が描いているのは,「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」。

フランスはパリ郊外のモンマルトル地区にあるダンスホール「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」に集まった人々が,降り注ぐ木漏れ日の中で踊りや交流を楽しむ様子が描かれています。

まず気になるのがこの絵画の舞台となったダンスホール「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の名前です。

日本語にしてみると「ギャレットの風車」となります。
ギャレットとは,日本では「ガレット」の名で知られるクッキーのことで,このダンスホールの名物のお菓子だったそうです。

ガレットガレット。クレープのようなタイプもあります

 また,文字通り「ムーラン(風車)」がこのダンスホールの象徴となっていました。
何人もの画家がこのダンスホールを題材として絵を描いており,かのゴッホも何枚か絵を残しています。

ゴッホの描いた絵ゴッホ『モンマルトルの風車』(1886年) 石橋財団アーティゾン美術館蔵

現在もこの風車は残されていますが,現在はダンスホールではなくフレンチレストランとして営業しているそうです。

さて,改めてこの作品を眺めてみましょう。

まず注目したいのは,全体の画面構成です。
ルノワールは,画面右下半分の踊らずに話し込んでいる人たちと,画面左上半分の踊っている人たちを明確に描き分けています。

その証拠に,画面右上から左下に向かって対角線(画像水色線)を引くと,踊っている人たちが見事なまでに画面左上半分に収まっていることが分かります。
(赤丸で囲った,踊っている男性の足の配置はまさにこの対角線に沿っていることにご注目!)

また,画面右下半分を構成する「話している人たち」は軒並み画面右に顔を向けており,その背中が連なることでこの対角線が鑑賞者に意識されるようになっているとも考えられます。(画像青線)

奥に踊っている人たち,手前に話している人たちを配置することで

  • 画面の奥行きが意識される
  • 「動」と「静」の対比がはっきりする
  • 鑑賞者も画面手前に立って静かにこの場面を眺めているかのような没入感を生む

といった効果が生まれます。

次に,部分に注目してみましょう。

まず目が行くのは,右手前のテーブルで談笑している5人組の男女です。
実はこの人たち,全員ルノワールの友人がモデルを務めてくれています。

一番手前で微笑んでいる女性(エステル)と,その肩に手を置いている女性(ジャンヌ)は姉妹なんですね。
顔立ちがよく似ていることと,非常に親しげな様子の理由がこれで分かりました。
ルノワールは,「流行の帽子をプレゼントするから」と言ってこうした友人たちにモデルを依頼しました。
友人たちは絵のモデルだけでなく,大きなキャンバスを会場に運び込む手伝いなどもしていたようです。

さて,テーブルの上に置かれている飲み物は何でしょうか?
この飲み物は,ザクロシロップだと言われています。

ザクロシロップ
➡︎
ザクロの香りと色を付けたシロップで,グレナデンシロップとも呼ばれる。
ザクロが市場に並ぶ10月に作り置きしておくのが一般的。
ビールに混ぜてカクテルにしたり,ソーダで割ってジュースにしたりと多様な飲み方を楽しむことができ,ガレットと共に当時の「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の定番メニューだった。

グレナデンシロップザクロシロップ

最後に注目したいのは,この絵に使われている印象派の技法です。
この絵では当時最新だった「筆触分割」という技法が使われています。

筆触分割
➡︎
印象派の画家たちが生み出した当時最新の表現技法。
15世紀のルネサンス以降,パレットの上で絵具を混ぜて色を作ってから画面に塗りつけるのが常識だったが,印象派の画家たちは絵具を混ぜるほど発色が悪くなる(色が暗くなる)ことに気づいていた。
色そのものの明るさ,光の表現を重視した彼らは混ぜないままの絵具をそのまま画面上に配置し,それらが鑑賞者の眼に入った時に全体的な印象として混ざり合うように工夫した。
このため,印象派の絵画は間近でじっくり目をこらすより,少し距離を取って眺めるとより綺麗に見えると言われる。

木漏れ日最も光が当たり明るい部分である襟や袖口には白い絵具をそのまま置き,木漏れ日の当たる部分は周囲より少し明るい絵具を使うことで光を表現している

この名画の「謎」

さて,上記の解説を踏まえた上で,残る謎があります。

「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」は当時のパリの人々にとってどんな場所だったのか?

この謎を解くために,

  1. 時代背景
  1. ダンスホールという場所

という2つの観点から考えてみます。

①時代背景

まずは,時代背景です。
この絵の作者であるルノワールの人生を軸に考えてみましょう。

ルノワールルノワール(1841-1919) 『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』を描いた35歳頃撮影。

 ルノワールは1841年,フランス中西部の街リモージュで,仕立て職人の父とお針子の母との間に生まれました。3歳の頃,一家でパリに移住します。

この時,パリで民衆の蜂起が起きた1830年の七月革命からわずか10年ちょっと,時代はまだ混乱していました。
(この七月革命を描いたのがドラクロワの『民衆を導く自由の女神』です。フランス革命の詳しい流れもまとめてありますので興味をお持ちの方は是非お読みください。)

それから磁器の絵付け職人として13歳から働き始めたものの,産業革命により仕事が機械に奪われて失職してしまいます。
その後はドラクロワも学んだパリ国立美術学校に合格し,画家としてのキャリアを志向していきます。
モネやシスレーといった印象派の画家仲間もできて充実した日々を送りますが,暗い影を落としたのが普仏戦争(1870-1871)でした。
この時30歳だったルノワールはプロイセン(のちのドイツ)との戦争に兵士として参加し,親友が戦死するなど心身ともに辛い経験をしました。

そこからさらに,普仏戦争に敗れたことに激怒した市民たちが作った労働者政府「パリ=コミューン」が政府軍に徹底的に鎮圧され,美しいパリの街は炎に包まれました(「血の一週間」と呼ばれます)。
この様子をパリ郊外で見ていたルノワールの胸にあったのは,切実な平和への願いだったに違いありません。

そして訪れた「第三共和政」で,フランスはようやく約70年間の内戦のない時間を手にします。
『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』を描いたのは1876年,ルノワール35歳の時。

ようやくこれまでよりは平和な時代が訪れた!


『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』は,人々やルノワール自身のそんな喜びが表れた,平和の象徴のようなダンスホールだったのかもしれません。

※なお同様に人々が余暇を楽しむ様子は,同時代の画家・スーラの『グランド・ジャット島の日曜日の午後』にも描かれています。

ダンスホールという場所

次に,ダンスホールという場所について考えてみます。
フランスで人が集まって交流する場所という意味でいうと,思い浮かぶのは貴族たちが宮廷などに集まり,文学や演劇,思想などを語り合った「サロン」です。(現代の「オンラインサロン」の語源です)

ただ,これはもっぱら上流階級の人々が集う,参加メンバーのある程度固定されたクローズドな集まり。
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」のようなパリ郊外のダンスホールは,労働者などの一般市民が思い思いに参加するオープンな集まりの場でした。

下は,ダンスホールとサロンを簡単に比較した表です。

それぞれを描いた絵からも,かなり雰囲気の違う場であることがよく分かります。

「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」があったモンマルトル地区は,当時のパリ市民に非常に人気のスポットとなっていました。
郊外で家賃が安いので労働者や画学生たちが多く居住しており,そうした人々が余暇を楽しむ場所だったのです。

それまでの王政,帝政時代を通じて,一般市民たちは重税にも苦しんでおり,サロンに代表されるように「余暇」は貴族などの一部の層の特権でした。

ところが,革命の成功により一般市民の地位がそれまでに比べて向上し,産業革命により生産力も向上するなど社会変革が起き,一般市民が余暇を楽しむ習慣が生まれました。

ダンスホールは,そうした市民たちが休日に集まり,日々の疲れを癒して交流を深める場所だったのです。
彼らの服装を見ると,みんな非常にきっちりした格好をしています。
彼らなりのおしゃれをして,明るい日差しの中でダンスや飲食,会話を楽しむ…ルノワールは,そんな当時のパリ市民たちの幸福な瞬間を切り取ることに見事成功したのです。

最後に,描かれた「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」のその後について少しだけ書きたいと思います。
画面左下の少女と母親(姉?)にご注目ください。
ルノワールが描いた1876年頃のこのダンスホールはあらゆる市民の憩いの場であり,このように子供連れで来ることができる場所でした。

一方,ルノワールから13年後に描かれたムーラン・ド・ラ・ギャレットの様子がこちらです。

ロートレック『ムーラン・ド・ラ・ギャレットにて』(1889)シカゴ美術館蔵ロートレック『ムーラン・ド・ラ・ギャレットにて』(1889)シカゴ美術館蔵

もちろん画風の違いや時間帯(こちらは夜の屋内か)もあるでしょうが,明らかに客層が変化し,とても子供連れで来られる場所でなくなってしまっていることはお分かりになるかと思います。
さらに10年後にピカソ『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』のタイトルで絵を描いていますが,こちらはもはや同じ場所とは思えないほど怪しげな雰囲気が漂っています。

ムーラン・ド・ラ・ギャレットは多くの画家が題材としていますが,老若男女が楽しめる場所としての輝くような瞬間を切り取ったという意味で,ルノワールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』は特別だと言えます。

余談:NHKの美術番組『びじゅチューン!』

NHKの美術番組で『びじゅチューン!』という番組があります。
世界の有名美術を題材に,映像アーティストの井上涼さんがオリジナルの歌とアニメーションを展開する番組で,私のイチオシが今回取り上げた『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』がベースになっている『潜入捜査 in ムーラン・ド・ラ・ギャレット』です。

一度聞くと耳に残る,とても印象的な作品となっているので是非一度ご覧になってみてください。

まとめ

今回はルノワールの名画『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』を取り上げました。
その結果,以下のようなことが分かりました。

  • 『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』は,パリ郊外のダンスホールで生き生きと踊りや交流を楽しむ人々を描いた名画
  • 「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」は,「ガレットの風車」という意味
  • 対角線を引くと,ルノワールが見事に空間を描き分けていることが明らかになる
  • 描かれている人々の中には,ルノワールの友人たちも多数含まれている
  • 筆触分割という印象派特有の技法が用いられている
  • 「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」は,やっと訪れた束の間の平和を象徴するような,人々の憩いの場となるスポットだった

美術作品には,初心者だからこそ様々な視点で楽しめるという魅力があります。

今後も様々な作品を取り上げて鑑賞,考察していきたいと思います。
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最後までお読みいただきありがとうございました!!

参考書籍

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