作品プロフィール
タイトル:『戦艦テメレール号』(解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号)
作者:ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
制作年代:1839年
サイズ:91cm × 122cm
技法:油彩
場所:ナショナル・ギャラリー(イギリス・ロンドン)
はじめに
空を明るく染め上げる太陽を背景に,煙突から煙を上げて近づいてくる船。
その船の後には,白い大型船が続きます。
2隻の船は前後にピッタリくっつくようにしてこちらに進んでくるようです。
さて,この絵はどんな場面を表しているのでしょうか?
そして,この絵にまつわる謎とは?
解説
この絵が描いているのは,「解体されるために最後の停泊地に曳かれていく戦艦テメレール号」。
『雨、蒸気、速度――グレート・ウェスタン鉄道』と並び最も有名なターナーの代表作です。
まずは,作品全体を眺めてみましょう。
何隻かの船が描かれていますが,タイトルになっている「戦艦テメレール号」は,こちらの白い船です。
テメレール号
➡︎イギリス海軍の戦列艦(縦一列に並んで敵艦隊を砲撃する戦艦)。
名前の「テメレール(téméraire)」は,「向こう見ずな」という意味のフランス語。
イギリスの戦艦にフランス語の名前が付いているのは,元々はフランス海軍の戦艦だったものの,海戦の結果イギリス海軍所有となった初代テメレール号から名前を引き継いでいるため。
テメレール号は,世界史的にはナポレオン戦争の「トラファルガーの海戦」(1805年)でフランス艦隊と戦い,勝利に貢献した戦艦として有名です。(詳細は後述)
この絵は,トラファルガーの海戦の後,囚人を捕らえておく監獄船や新兵収容艦,倉庫など役目を変えつつ約40年間使用され,解体場があるロザハイスまでテムズ川を曳航されていくテメレール号を描いたものです。
絵の構図に注目してみましょう。
画面左上から右下にかけて対角線を引いてみると,テメレール号のマストの先端をかすめて右下の岩にかかるように,綺麗に画面が分割されることが分かります。
そして,右下の太陽が作り出す,画面右上の赤く染まった空と,左上の月が浮かぶ画面左下の青みがかった空が対比になっていることが分かります。
この空の色合いは「動」と「静」のイメージを鑑賞者に与えますが,黒々とした煙を煙突から吐き上げる蒸気船である小型タグボート(動)と,もはや自力では動けずタグボートに曳航されていく大型帆船テメレール号(静)はまさにこの空の色と対応していると言えます。
テメレール号とタグボートそれぞれの船体の色も,月と太陽それぞれが作り出す空間の色に対応しています。
産業革命による近代化が進む中で,旧時代の船である帆船は新テクノロジーである蒸気船に取って代わられつつありました。
沈みゆく太陽は「一時代を築いた戦艦テメレール号の最後」を暗示していると言えます。
ターナーは定期船の上からこの光景を目撃したとも言われますが,実際には夕方ではなく昼間の出来事だったといいます。
絵画『戦艦テメレール号』と史実の相違点
- 描かれているのは夕方だが,実際には昼間の出来事だった
- 描かれているタグボートは1隻のみだが,実際には2隻だった
- 描かれているテメレール号にはマストが確認できるが,実際にはマストや大砲類,錨などは撤去されていた
- 描かれているテメレール号の船体の色は白一色のようにも見えるが,実際には黒なども使って塗り分けがされていた
このように,あえて現実そのままの様子を描かず,堂々と歴史の表舞台から姿を消していくテメレール号の勇姿を描いた『戦艦テメレール号』の人気は圧倒的で,2005年に行われたイギリス国内の一般投票で堂々の第1位を獲得し「最も偉大なイギリス絵画」に選ばれました。
『戦艦テメレール号』は,「イギリス人が最も好きな絵」の一つなのです。
この名画の「謎」
さて,上記の解説を踏まえた上で残る謎があります。
『戦艦テメレール号』は,なぜイギリス国民に圧倒的に愛される名画なのか?
『戦艦テメレール号』が,非常に美しい風景画であることは間違いありません。
一方で,日本と同じく島国であるイギリスでは古くから海運が発達しており,船や港を描いた絵画の数は計り知れません。
その中で『戦艦テメレール号』はなぜ,頭一つ抜けてイギリス国民に愛されているのでしょうか。
この名画が愛される理由を明らかにするには,日本人の視点から絵に描かれているものだけをそのまま見るのではなく,できる限りイギリス国民の視点に立つことが重要です。
結論から述べると,この絵が深く愛されている理由は,
- テメレール号が「国民の誰もが知る題材」だから
- ターナーが「国民の誰もが知る画家」だから
の大きく2つだと考えられます。
それでは,それぞれの理由を見ていきましょう。
愛される理由① テメレール号が「国民の誰もが知る題材」だから
まず,テメレール号が「国民の誰もが知る題材」であることがこの絵が愛される理由として挙げられます。
なぜテメレール号は国民に広く知られているか。
それは,先ほども述べたように「トラファルガーの海戦」に参加したからです。
では,この船の誕生からトラファルガーの海戦までを見ていきましょう。
誕生(1798年)
テメレール号は,ロンドンの南東55kmにあるチャタムという街で1790年頃から建造されました。
チャタムはイギリス海軍御用達の造船所を有する街で,16世紀半ばから第二次世界大戦後の1987年までなんと400年以上にわたる歴史の中で500隻以上の軍艦をイギリス海軍に供給してきました。
テメレール号もそんな軍艦の一つとして誕生し,1798年に進水しています。
トラファルガーの海戦(1805年)
さて,「戦艦テメレール号」の名を一躍有名にしたのが,進水から7年後の「トラファルガーの海戦」(1805年)です。
この頃,ヨーロッパ大陸は初代ナポレオンが率いるフランスが勢力を拡大していました。
ナポレオンはとうとうイギリス本土への侵攻を企て,フランス・スペイン連合艦隊を地中海経由でドーバー海峡に派遣しようとします。
それをイギリス海軍がトラファルガー岬(スペイン)の沖で真っ向から迎え撃ったのが「トラファルガーの海戦」なのです。
イギリス艦隊を率いるのは世界史上最も有名な海軍軍人のネルソン提督。
ネルソン提督は,のちに「ネルソン・タッチ」と呼ばれる斬新な手法でフランス・スペイン艦隊に挑みます。
それは,自軍の艦隊を2列に並べて,1列で進行している敵艦隊の真横に進入して分断し,混乱したところを一気に殲滅するというものでした。
フランス・スペイン艦隊33隻に対してイギリス艦隊は27隻と,数の面ではやや不利な状況であり,従来通りに自軍:敵軍を1列ずつ並べて撃ち合うのは得策でなかったのです。
ネルソン提督が乗るイギリス軍の旗艦・ヴィクトリー号が,連合艦隊の旗艦・ビューサントル号に迫ります。
そのヴィクトリー号の脇を固めるのが,テメレール号です。
(上の図を拡大してみると,横2列になった艦隊の上の列を率いるヴィクトリー号とテメレール号の姿が確認できます)
そして,激しい戦闘が始まります。
ネルソンが乗るヴィクトリー号が率いるイギリス艦隊の強みは,搭載武器の性能が良いことと兵士の練度・士気が高いことでした。
そのことはフランス側も承知しており,戦艦同士を近づけての接近戦に持ち込み,イギリス戦艦に乗り移って戦おうとします。
特に,イギリス艦隊のリーダーであるネルソン提督が乗るヴィクトリー号はフランス軍から執拗に狙われました。フランス戦艦ルドゥタブル号の艦長は狙撃手を多数配置し,ヴィクトリー号の甲板上の人物を次々に狙撃させます。
そしてついに銃弾がネルソン提督を貫き,ネルソン提督は「神に感謝する。私は義務を果たした」と言い遺して絶命します。
さて,肝心のテメレール号の活躍はどのようなものだったのでしょうか。
この項の冒頭の画像は,決着目前の戦場の光景です。同画像をより詳しく見てみましょう。
ネルソンの乗るヴィクトリー号(画面右)と最も激しい戦闘を繰り広げたのは,フランス戦艦ルドゥタブル号(画面中央)です。
ルドゥタブル号の船員がいよいよヴィクトリー号に乗り移っての切り込み攻撃を試みますが,そうはさせまいとヴィクトリー号の救援に駆けつけたのがテメレール号(画面中央左)でした。
テメレール号は右舷の大砲からの砲撃でルドゥタブル号に大ダメージを与え,事実上の戦闘不能状態に追い込みます。
ルドゥタブル号のメインマストは折れてしまい,テメレール号の上に倒れ込んでおり,戦闘がいかに激しいものであるかを物語っています。
さらに,テメレール号はルドゥタブル号の援護に来ようとしたフグー号に向けても発砲し,動きを牽制します。
ここに至り,戦闘継続が不可能となったルドゥタブル号は降伏に追い込まれるのでした。
ネルソン提督を失ったものの,戦闘結果は世界史上稀に見るほど一方的な「イギリス海軍の大勝利」でした。
イギリス海軍の死者数約450名・喪失艦0隻に対してフランス・スペイン連合艦隊の死者数は約10倍の約4500人,大破・拿捕された戦艦22隻に上ったのです。
この戦闘でテメレール号はヴィクトリー号と共に大勝利の要となり,その名をイギリス中に轟かせたのでした。
また,ネルソン提督は国王以外の人間で史上初めて国葬とされ,ナポレオンによるイギリス本土侵攻から祖国を守った偉大な英雄となりました。
ネルソン提督の活躍が語られる度,イギリス国民はヴィクトリー号やテメレール号を思い出すこととなったのです。
愛される理由② ターナーが「国民の誰もが知る画家」だから
テメレール号はよく知られた題材でしたが,それ以上にターナー自身が国民的画家として知られていました。
存命中にはほとんど知られていなかったり,最晩年になって評価されるようになったりする画家が多い中で,ターナーはその傑出した才能と鋭いビジネス感覚により,早くからその名を知られるようになっていました。
なんと15歳の時点でロイヤル・アカデミー(この頃イギリスで唯一の美術の正式教育機関・展覧会組織)の展示に作品を初出品しています。
以下に,ターナーが広く知られるようになった主な理由を挙げます。
- ロイヤル・アカデミーというイギリス美術界の中心で15歳から約60年間の長期にわたって活躍した➡︎60年間のうち,アカデミー展に出品しなかったのはわずか5回のみ。のちにアカデミーの教授として後進の指導も行う
- キャリアの最初期から熱心なコレクターやパトロンが現れた
➡︎20代前半にして,同じ時期に60点もの素描の注文を抱えていた - 個人ギャラリーの開設や版画集の出版,ベストセラー小説の挿絵を担当するなど,世間に知られるための努力を惜しまなかった➡︎ターナーの才能は一部の美術愛好家だけでなく国民に広く知られるようになった
ターナーの活動初期のイギリスには,いまだ国立美術館が設置されていないなど,イギリスは国産絵画の発達の面でフランスやイタリアに差を付けられていました。
こうした中で良質な作品を次々に発表し,いまだ歴史画や宗教画に比べて評価の低かった風景画というジャンルそのものの評価まで高め,イギリスを美術大国の一つに押し上げたターナーの功績は計り知れません。
後世への影響
『戦艦テメレール号』は,国民的題材である「ナポレオンによる侵略から国を守った戦艦」を国民的画家であるターナーが描くことで,海洋国家イギリスのアイデンティティを象徴する作品となりました。
描かれた時代はヴィクトリア女王が治める大英帝国の最盛期だったこともあり,イギリス国民の思い入れはより一層強いのでしょう。
その人気ぶりは凄まじく,映画『007 スカイフォール』(2012年)に登場したほか,2020年2月からは新しい20ポンド札の裏面に,ターナーの肖像画とともに起用されることとなりました。
イギリスでのターナーの人気がいかに大きいかが分かります。
芸術作品の紙幣デザインへの起用という意味では,日本でも2024年から発行される新千円札の裏面に葛飾北斎の『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』が起用されました。
ターナーと葛飾北斎の共通点は,版画画家として優れた作品を多く生み出し,広く国民に認知されたことです。
また,紙幣に起用された作品にはイギリスと日本の国民であれば誰もが知っているモチーフ(テメレール号・富士山)が描かれています。
そして両者とも,その作品が国家を代表する芸術作品として認められたのです。
おわりに
今回はターナーの名画『戦艦テメレール号』を取り上げました。
その結果,以下のようなことが分かりました。
- 『戦艦テメレール号』は,トラファルガーの海戦で活躍した帆船テメレール号が,解体のために蒸気船に曳航されていく様子を描いた名画
- 「静」のテメレール号と「動」の蒸気船が対照的な様子で描かれている
- ターナーの描いた絵画中のテメレール号と実際のテメレール号には様々な相違点があったが,ターナーは写実よりも芸術性を重視したと考えられる
- 『戦艦テメレール号』はイギリス国民に広く愛される名画だが,その理由は「国民的題材」を「国民的画家」が扱ったからだと考えられる
- 『戦艦テメレール号』は20ポンド紙幣のデザインに起用されることとなったが,日本でも千円札に葛飾北斎の作品が起用される予定である
美術作品には,初心者だからこそ様々な視点で楽しめるという魅力があります。
今後も様々な作品を取り上げて鑑賞,考察していきたいと思います。
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最後までお読みいただきありがとうございました!!
参考書籍