作品プロフィール
タイトル:『真珠の耳飾りの少女』
作者:ヨハネス・フェルメール
制作年代:1664-1665年頃
場所:マウリッツハイス美術館(オランダ)
技法:油彩
はじめに
暗闇の中で,こちらを振り返る1人の少女。
青と黄の衣装が目を引きますが,それ以上に印象的なのは少女がこちらに向けた眼差しです。
さて,この絵にはどんな謎が隠されているのでしょうか?
解説
この絵が描いているのは,「東洋風のファッションに身を包んだ異国の少女」。
ここで言う東洋とは,「ヨーロッパから見て東の方の世界」くらいのかなり曖昧な意味であり,今のトルコあたりの中東地域がイメージされているとされます。
作者のフェルメールが暮らした17世紀のオランダは貿易が盛んであり,フェルメール自身は生まれ育った街から生涯出ることはなかったものの,フェルメールなりに異国情緒を感じさせる絵を描いてみたのかもしれません。
現在では,『牛乳を注ぐ女』と並び,最も有名なフェルメール作品となっています。
そんな『真珠の耳飾りの少女』ですが,この絵は実在の人物を描いた「肖像画」ではなく,不特定の人物を作者が自由に描いた「トローニー」とされます。
トローニー
➡︎オランダ語で「容貌」「印象」を意味する,人の胸から上を描いた絵のこと。実在の人物を描くために説明的になりがちな肖像画と違って,画家が自由な発想を活かして描くことができた。
なお,不特定の人物を描いているとはいえ,モデルがいないということではなく,『真珠の耳飾りの少女』のモデルは娘とも愛人とも使用人とも言われています。
さて,改めてこの絵を眺めてみましょう。
やはり目を引くのは,青と黄の2色でまとめられた衣装です。
この2色は互いに引き立て合う「補色」の関係にあり,かつ高級感のあるイメージを伴うため,見る者に強い印象を与えます。
フェルメールは特に青を好み,現代では「フェルメール・ブルー」と呼ばれるほど有名ですが,チューブ絵具が無かったこの時代には青はとても貴重な色でした。
この青の原料はなんと宝石(!)のラピスラズリ。宝石をすり潰して「ウルトラマリン」という絵の具にしていたのです。貿易によって中東のアフガニスタンからもたらされたこの宝石の価値は当時,ゴールドと同じかそれ以上とされました。
(あまりに贅沢に使い過ぎて,フェルメールの死後,奥さんは破産することになります)
またフェルメールは柔らかな光を描いた「光の画家」として知られますが,この作品でもその特徴が見られます。
少女の巻くターバンには,あちこちに白い絵具で描かれた「光のしずく」が確認できます。
ただ陰影を付けるだけでも光は表現できますが,この光のしずくによってより直接的に光が当たっていることが強調されます。
そして,なんと言っても魅力的なのは,少女の表情です。
潤んだグレーの大きな瞳は真っすぐこちらを見つめ,実際の人物と目が合ったかのように見る者をドキッとさせます。
少女の何とも言えない表情もまた,見る人によって様々に解釈の違いを生みます。
親愛か,信頼か,はたまた驚きの表情なのか…わずかに開いた口元も,何かを呟いているのか,それとも振り返ったら少女を見る人とちょうど目が合ったので「あら」と口を開きかけた瞬間なのか。
人間の表情が持つ機微を見事にとらえて神秘的な雰囲気が漂う『真珠の耳飾りの少女』は,「オランダのモナ・リザ」と呼ばれることもあるといいますが,それも納得の作品です。
この名画の「謎」
さて,上記の解説を踏まえた上で,残る謎が2つあります。
①耳飾りの真珠はなぜこんなに大きいのか?
②なぜ背景が漆黒なのか?
では,順番にこの謎を解いていきましょう。
謎①耳飾りの真珠はなぜこんなに大きいのか?
私が最初にこの絵を見て抱いた疑問は,「真珠,大き過ぎでは?」でした。
文献等によると直径約2cmとも言われるこの真珠ですが,例えば日本で最もメジャーなアコヤ貝の真珠の平均的サイズは直径0.75cm前後とされます。
直径1cmを超えればかなりの大粒とされる真珠のサイズ感を考えると,やはり『真珠の耳飾りの少女』で描かれている「真珠」は通常の2倍超と巨大過ぎます。
もちろんこうした特大サイズの真珠も存在しますが,ほとんどが富裕な王侯貴族らの所有となっており,一介の画家であるフェルメールが所有できるような代物ではありませんでした。
ではこの耳飾りは一体何なのか?
可能性として考えられるのは,「模造真珠」です。
この作品が描かれる約10年前の1656年,フランスのビーズ職人のジャカンという人物が,中身が空っぽのガラス玉の中に「ブリーク」という魚の鱗を混ぜたゼラチン(パールエッセンス)を封入することで精巧な模造真珠を作り出すことに成功し,模造真珠がヨーロッパに広まりました。
普通サイズの天然真珠は『真珠の耳飾りの少女』の時代にはオランダの市民の間で流行するアクセサリーとなっていましたが,模造真珠も最新のファッションとして好意的に受け入れられていたようです。
フェルメールも生涯で描いた30数点の絵画のうち18点ほどで真珠を描いています。光を反射するため,画家としては重宝するアイテムだったのでしょう。
また,形状やサイズは作品によって様々でありながらも,「(模造)真珠の耳飾り」は他作品にも度々登場しています。
同じく複数作品に登場する真珠のネックレスや黄色のガウンなどは奥さんの私物だったと言われますが,恐らく耳飾りもそうしたコレクションの一つだったのでしょう。
謎②なぜ背景が漆黒なのか?
では次の謎「なぜ背景が漆黒なのか?」について考えていきましょう。
『真珠の耳飾り』は,フェルメールの作品の中でもいくつかの点で異色作と言われます。その中でも代表的な特徴が,絵の背景に何も描かれておらず漆黒の闇が広がっている点です。
フェルメールは細かく描き込んだ背景(装飾品など)にメッセージを隠すのが非常に上手な画家であり,それが世界中の人を惹きつけ議論を呼ぶわけですが,背景に何も描かれていない作品は,彼が生涯に残した30数点の中でたった2作品(本作品と『少女』)のみです。
ではなぜ『真珠の耳飾りの少女』の背景は漆黒なのか?
すぐに考えつくのは,
背景を漆黒にすることで少女が浮かび上がるような効果を生む
ですが,この謎については様々な説が出ては消え,あまりの他作品との乖離から『真珠の耳飾りの少女』はフェルメールの作品ではないのでは,と指摘する専門家もいるほどです。
2020年4月,この謎を解く最新の科学調査の結果が発表されました。
そこで明らかになったのは,以下のような事実です。
- 一見何もない漆黒の背景部分には,元々は緑色のカーテンが描かれていた
- 少女の目の周りには,肉眼では見えないレベルの細かい「まつ毛」が描かれていた
- 真珠の耳飾りは輪郭や耳にかけるためのフックが描かれておらず,鑑賞者の「錯覚」を利用している
驚くべきことに,なんと背景はフェルメールが意図して漆黒一色に染めたものではなかったのです!
元々は,少女の右上部分に布地が重なるようにして緑色のカーテンが描かれていたものの,描かれて数世紀を経るうちに黒く変色してしまったと考えられるとのことです。
ここで思い出すのは同じくオランダ黄金時代の巨匠・レンブラントが描いた名画『夜警』です。元々は昼間の光景を描いた作品だったにも関わらず,画面保護のため表面に塗られたニスが黒く変色したため夜を描いた作品と勘違いされ,このタイトルが付けられました。
『真珠の耳飾りの少女』も『夜警』と同じく表面にニスが塗られており,またフェルメールの死後,かなり保存状態が悪かったため画面が黒ずんでしまった可能性は十分に考えられます。
(あまりに状態が悪かったためにオークションでの落札価格は1万円ほど。現在の価値は150億円とも言われます)
では,描かれた当時の『真珠の耳飾りの少女』はどのような絵だったのか。
フェルメールが他作品(『窓辺で手紙を読む女』)に描いたカーテンを合成してみました。
個人的には思ったほど違和感がないのですが,いかがでしょうか。
- 描かれていた「緑色のカーテン」の色合いがどんなものだったのか?
- カーテン部分以外の背景色はどんなものだったのか?
といった点は謎のままですが,異色作と言われるこの作品にも,背景にカーテンが存在していたことが解明されたことで,この作品もフェルメールお得意の「室内画」であり,実際に東洋風に着飾った少女を部屋の中で描いた可能性が高まったと言えます。
下に改めてカーテンの有り/無しの2枚を並べてみました。
あなたは,どのような印象を受けられますか?
余談:「処刑された少女」との関係は?
『真珠の耳飾りの少女』は西洋版「見返り美人図」とも言える傑作ですが,
この作品に構図がそっくりな絵画が存在します。
その絵画,『ベアトリーチェ・チェンチ』との比較画像がこちら。
確かに構図はよく似ています。
この絵は『真珠の耳飾りの少女』の60年以上前に描かれたと思われますが,悲劇の美少女「ベアトリーチェ・チェンチ」の肖像と言われます。
悲劇の美少女,ベアトリーチェの物語
➡︎
イタリアの名門貴族チェンチ家の娘・ベアトリーチェは,乱暴者の父親から日常的に酷い虐待を受けていた。
家族と共に父親を亡き者にする計画を立てて城のバルコニーから突き落とし事故死に見せかけるも殺人が露見,ローマ教皇クレメンス8世によって処刑された。
ローマの人々は大いに同情し,この話を後世に語り継いだ。
処刑直前に描かれたといわれる肖像画には,白いターバンを巻いたベアトリーチェの姿が描かれているが,このターバンは処刑時に髪で刃が滑らないようにするためのものである。
構図がよく似ている点については,フェルメール自身が作品に何度も登場させている「手紙」の発達によって上記の物語とベアトリーチェの肖像のスケッチなどがオランダにもたらされ,フェルメールが参考にした可能性は否定できません。
ただしその背景となるストーリーまでは,『真珠の耳飾りの少女』とは無関係と見て良いように思われます。構図こそ似ていますが,2人の少女はあまりにも対照的な「生」と「死」の印象を鑑賞者にもたらすからです。
まとめ
今回は『真珠の耳飾りの少女』を取り上げました。
その結果,以下のようなことが分かりました。
- 『真珠の耳飾りの少女』は,東洋風の衣装に身を包み,暗闇の中でこちらを振り返る少女を描いた名画
- 肖像画と違って不特定の人物を描いた「トローニー」であるとされる
- 青色の絵具は宝石をすり潰した超高級品を使用している
- 耳飾りの真珠は,「模造真珠」が用いられている可能性が高い
- 一見何もないように見える背景には元々,緑色のカーテンが描かれていた
美術作品には,素人だからこそ様々な視点で楽しめるという魅力があります。
今後も様々な作品を取り上げて鑑賞,考察していきたいと思います。
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最後までお読みいただきありがとうございました!!
参考書籍