アート

なるほど名画解説!−ティントレット 『カインとアベル』−

作品プロフィール

タイトル:『カインとアベル』
作者:ティントレット
制作年代:1550年~1553年
見られる場所:アカデミア美術館(イタリア,ヴェネツィア)
技法:油彩

解説動画のご紹介

本記事の内容は,YouTube上にて動画形式でご覧になることも可能です。
音声も入ってより分かりやすく解説しておりますので,是非ご覧ください!

はじめに

なるほど名画解説!ーティントレット 『カインとアベル』ー

大きく右手を振り上げる,筋骨隆々の男。
その手の先には,先の鋭い木の枝のようなものが握られています。

一方の左手で押さえ付けられている色白の男の顔は見えませんが,体を庇うように伸ばされた左手と,大きく崩れた姿勢が,絵を見る者に緊張感を感じさせます。

さて,この絵はどんな場面を表しているのでしょうか?
そして,隠されている謎とは?

解説

この絵が描いているのは「カインとアベル」。
『旧約聖書』の「創世記」第4章3節〜8節に記された「人類最初の殺人」の物語です。

カインとアベルは,最初の人類として旧約聖書に記されたアダムとイヴの息子たちで,アダムとイブが神に食べることを禁じられた果実を口にしてエデンの園を追放されたのちに生まれました。

この絵の中で立ち上がり,右手を振り上げているのが兄のカイン

画面手前で体勢を崩しながらも,カインの攻撃をなんとか防ごうとしているのが弟のアベルです。

なぜこのような兄弟間の争いが起こってしまったのでしょうか?

話はこれより少し前,2人が神への捧げ物を供えたことから始まります。

兄のカインは農夫として,弟のアベルは羊飼いとして働いていました。
それぞれが神に捧げ物をするにあたり,兄弟はそれぞれ以下のものを選びました。

カイン(兄)…自ら耕して得た農作物(具体的に何かは不明)

アベル(弟)…羊の群れから選んだ,肥え太った初子(つがいから生まれる最初の子ども。ここでは,神への供物として最良のものを選んだことを示す)

さて,いざ神にそれぞれの供物を捧げてみると,神はアベルの羊だけを受け取り,カインの農作物は無視しました。

これに激怒したカインは顔を伏せ,その様子を見た神はカインに問いかけます。

「あなたはなぜ憤るのですか,なぜ顔を伏せるのですか。正しいことをしているのでしたら,顔をあげたらよいでしょう。
 もし正しいことをしていないのでしたら,罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが,あなたはそれを治めなければなりません」

神はこのようにカインを諭したものの,カインの怒りは治まりません。
それどころか,怒りは弟アベルへのどす黒い嫉妬へと変わりました。

カインはアベルを野原に呼び出し,殺してしまいます
それこそが,この絵画に描かれている場面なのです。

神はカインに「アベルはどこにいるか」と尋ねました。
カインは「知りません」と答えますが,神は全てお見通しでした。

・この土地は流された弟アベルの血を受けて呪われ,もはやカインのために作物が実ることはない

・カインは生涯,地上を放浪する者となる

と告げます。

カインが「私は他の者に殺される」と怯えると神は憐れに思い,カインを殺した者にその7倍の復讐が待ち受けることを示す印を授けました。

こうして,カインはエデンの東,ノド(さすらいの意味)の地に移り住むのでした。

 

この名画の「謎」

さて,ではこの名画にまつわる謎を考えていきましょう。
今回は名画そのものというより,カインとアベルの物語についての謎になります。

上記の解説を踏まえた上で,残る謎が3つあります。

①なぜ神はカインの捧げ物を受け取らなかったのか
②「羊飼いの犠牲」って,どこかで聞いたような気が…?
③アダムとイヴの子孫はどうなってしまったのか

謎①なぜ神はカインの捧げ物を受け取らなかったのか

まず,なぜ神がカインが捧げた農作物を無視したのかが気になります。
神がこのような行動を取った理由は聖書には記されていません。

神のこの行動については古来から様々な考察がされてきました。
結論として「分からない」というのは変わりませんが,私が調べた中で見つかったのは以下のような説です。

説1.カインが農作物を収穫した土地は,そもそもアダムとイヴが呪われて追放された土地だったから

➡︎一見もっともな理由ですが,カインとアベルの物語の舞台がどこなのかは明言されていません。
 もしこの物語の舞台がエデンの園だったとしても,アダムとイヴが追放されたのに,その息子であるカイン・アベル兄弟はエデンの土地に残留したのか?という新たな疑問が残ります

説2.神はそもそも気まぐれで,人間を試すようなこともするから

➡︎どちらの捧げ物が優れていたから,といった合理的な理由ではなく,神の気まぐれによるものだという説。
 確かに,神が人間を試すエピソードも数多いので,捧げ物自体の問題というよりもアベルの態度を気まぐれに試したという解釈です。

説3.ユダヤ人の優位性を示すため

➡︎カインとアベルの物語上の理由ではありませんが,興味深い説です。
 『旧約聖書』は元々はユダヤ教の聖典です。そして,ユダヤ民族は本来,遊牧民です。遊牧民であるユダヤ民族をアベルの姿に重ね,自分たちの捧げ物のみが神に受け入れられるという,ユダヤ教の特徴である「選民思想」が表れているのがこのカインとアベルの物語だとする説です。
 一方でユダヤ人たちは,神から愛されているにも関わらず,農耕民族であるメソポタミア民族やエジプト人らに迫害を受けてきました。
 神に愛されながらも,農夫であるカインによって殺害されてしまう羊飼いのアベルの姿には,ユダヤ民族を取り巻く恩讐が反映されているという解釈です。

謎②「羊飼いの犠牲」って,どこかで聞いたような気が…?

羊飼いのアベルが殺されてしまうという物語。
はて,どこかで聞いたような…?

 既視感の正体は,イエス=キリストが象徴的に「良き羊飼い」と呼ばれることにあります。
 キリスト教においては信徒が「stray sheep(=迷える子羊)」と表現されることがありますが,イエス=キリストはそれを導く羊飼いという関係にあります。

そしてご存知のようにイエス=キリストは弟子の1人・ユダに裏切られて処刑されてしまいます。

イエス=キリストの処刑は新約聖書中の出来事で,カインによるアベル殺害は旧約聖書中の出来事ですが,「羊飼いが殺される」という物語は新訳・旧約両方の聖書に共通していることになります。

この場合,羊飼いアベルの死はキリストの犠牲の「予型」であるとする考え方があります。

予型とは

イエス=キリストが神との新しい契約を結んだことから始まる『新約聖書』に登場する人物や出来事が,天地創造から始まる『旧約聖書』中の人物や出来事として既に記されているという考え方

この考え方を反映したキリスト教美術はしばしば存在し,この作品においてもアベルは祭壇を思わせる煉瓦の台の上に身を置かれています

レンガの台アベルの体の下には祭壇を思わせる煉瓦の台が

これはキリストの磔刑と類似した「犠牲」を表すと考えられます。

謎③アダムとイヴの子孫はどうなってしまったのか

さて,最後の謎です。

アダムとイヴの子孫はどうなってしまったのでしょうか?

最初の人類とされる2人から生まれた兄弟が争い,弟が殺され,兄は神により追放されてしまいました。このままでは,アダムとイヴの神に認められた子孫はいなくなってしまいます。

最初の追悼ブグロー『最初の追悼(The first mourning)』 聖書でははっきりと触れられなかったが,カインの死を悲しむアダムとイヴ夫婦の姿が描かれている。

カインがエデンの東に追放されたのち,神はアダムとイヴの夫婦に三男であるセトという子供を授けました

このセトの子孫の中に,のちに方舟で大洪水から逃れることになるノアがいます。
アダムとイヴの血筋は,きちんと続いていくことになるのです。

後世への影響

カインとアベルの物語は,後世の様々な方面に影響を与えました。
有名なものでは,心理学者ユングの唱えた概念「カイン・コンプレックス」があります。

カイン・コンプレックス

 元々は,親からの愛情がきょうだいにのみ注がれており,自分には十分に注がれていないと感じ,愛情を独占したいという思いからきょうだいに対して競争心・嫉妬心を抱いてしまう現象のこと。
 カインが神の愛情を得たいという思いから暴走したように,親や教師,上司など自分を評価する者から高い評価と愛情を得たい,競争相手を排除したいという思いから同僚・先輩・後輩などに対して敵意が向けられる場合もある。

カインとアベルの物語はこの他にも小説や映画で取り上げられるなどしており,今も多方面に影響を及ぼしています。

まとめ

今回は『カインとアベル』を取り上げました。
その結果,以下のようなことが分かりました。

・『カインとアベル』は,アダムとイヴの息子たちに対する神の愛を巡って起きた「人類最初の殺人」の場面を描いた名画
・神は兄カインからの捧げ物(農作物)を無視し,弟アベルからの捧げ物(羊の初子)を受け取った
・兄カインは嫉妬に狂って弟カインを殺した罪でエデンの東の地へと追放された
・神がカインの捧げ物を無視した理由は謎のまま
・アベルの犠牲はイエス=キリストの犠牲に通じる「予型」であるとする説がある
・アダムとイヴには新たにセトという息子が生まれ,のちにノアに続く家系が形成された

美術作品には,素人だからこそ様々な視点で楽しめるという魅力があります。

今後も様々な作品を取り上げて鑑賞,考察していきたいと思います。
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最後までお読みいただきありがとうございました!!

参考書籍

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