作品プロフィール
タイトル:『印象・日の出』
作者:クロード・モネ
制作年代:1872年
サイズ:48cm × 63cm
技法:油彩・カンヴァス
場所:マルモッタン・モネ美術館(フランス)
はじめに
モヤが立ち込める中,ゆっくりと水面を進む舟。
背景には多くの煙突やクレーンが立ち並び,どうやらここは港のようです。
そして目を引くのは,空を明るく染める,太陽の鮮やかな赤色です。
さて,この絵はどんな場面を表しているのでしょうか?
そして,この絵にまつわる謎とは?
解説
この絵が描いているのは,「朝のル・アーヴル港」。
ル・アーヴルはフランス北西部の大西洋に面し,マルセイユに次ぐフランス第2位の港湾都市で,セーヌ河右岸の河口にあたります。
さて,改めてこの絵を眺めてみましょう。
水面を進む舟は合計3艘で,いずれも画面左から右に向かって進んできています。
水面は穏やかで,舟の航跡が緩やかに波紋を描いています。
穏やかな水面において,波以上に目立っているのが太陽光の反射です。
拡大してみると,筆致の残る大胆な絵具の重ね方をしていることが分かります。
また,舟や人物についても細部は描き込まれることなく,色の濃淡はあるもののほとんどシルエットのみとなっています。
近寄って見るとまさに「印象」のタイトルにふさわしい技法の絵画です。
筆触分割
➡︎
印象派の画家たちが生み出した当時最新の表現技法。
15世紀のルネサンス以降,パレットの上で絵具を混ぜて色を作ってから画面に塗りつけるのが常識だったが,印象派の画家たちは絵具を混ぜるほど発色が悪くなる(色が暗くなる)ことに気づいていた。
色そのものの明るさ,光の表現を重視した彼らは,混ぜないままの絵具をそのまま画面上に配置し,それらが鑑賞者の眼に入った時に全体的な印象として混ざり合うように工夫した。
このため,印象派の絵画は間近でじっくり目をこらすより,少し距離を取って眺めるとより綺麗に見えると言われる。
前景の次は,背景に目を移しましょう。
全体的にモヤが漂うような画面となっており,何が描かれているか分かりにくいですね。
『印象・日の出』は,光の当たり具合によって全く異なった姿を見せる絵画です。
よりはっきり見える画像を用いて,背景に何が描かれているのかを見てみましょう。
よくよく目を凝らしてみると,背景の左端には煙を上げる「煙突」が立ち並んでいます。
また,背景の中央には「大型帆船」が停泊していることが分かります。
マスト(帆は畳まれている)に気付ければ,船の本体の輪郭も見えてきます。
画面左側に描かれているものは水面にも綺麗に反射しています。
一方で背景の右半分は,奥へと続く水路の手前を仕切る「水門」と,右端に「クレーン」が立ち並んでいることが分かります。
港湾は現代でも工業地帯であることが多く,煙突やクレーンが立ち並ぶ様子は珍しくありません。
現代人の私たちから見るとある意味「当たり前」のもので,むしろ「大型帆船」や「手漕ぎの舟」の方を珍しく感じてしまいます。
しかし,当時(19世紀)のフランス人は,おそらく全く逆の反応をすると思われます。
なぜか。
それは,煙突やクレーンといった近代的工業設備がまさにこの時代に登場してきて,150年後の現代にも定着しているからです。
煙突やクレーンを普及させ,帆船や手漕ぎボートを衰退させたもの,それは…そう,「産業革命」です!
上にまとめたように,フランスでは皇帝ナポレオン3世による「第二帝政時代」(1852-1870)に産業革命が進展しました。
モネが『印象・日の出』を描いた1872年は,産業革命が進展し,港湾に煙突やクレーンといった近代的な工業設備が登場してきた時代でした。また,蒸気機関を搭載した蒸気船が勢いを増す一方,帆船や手漕ぎボートは衰退していったのです。
この頃,フランスを取り巻く情勢はどうなっていたのかを見てみましょう。
まさに「激動の時代」という言葉がぴったりではないでしょうか。
18世紀にフランス革命が終わった後,ナポレオン=ボナパルトの登場と没落を経ても国内情勢は混乱が続いていました。
1852〜1870年のナポレオン3世による第2帝政時代は産業革命やパリの改造など近代化が進んだ時代でしたが,その最後にプロイセン(現在のドイツ)との激しい普仏戦争でフランスは敗北し,パリが占領されるという屈辱を味わいました。
プロイセンに対する政府の弱腰対応に激怒したパリの労働者たちはパリ=コミューン(労働者政府)を結成して蜂起し,それを政府軍が武力で鎮圧するという内戦が起こり,美しいパリの街は炎に包まれました。(「血の一週間」と呼ばれます)
そして,数えきれないほどの人々の犠牲の上に,フランスは第二次世界大戦でのナチス=ドイツとの対決までの約70年間の平和な時代をようやく手に入れることになります。
モネが『印象・日の出』を描いた1872年は,産業革命が進展してきたというだけでなく,普仏戦争やパリ=コミューンの騒乱が前年の1871年に終結し,「これから平和な時代を築き上げていくぞ!」という気運が高まっていました。
『印象・日の出』は,「フランス復興」の祈りと希望が込められた絵画という説があります。
薄暗くモヤの立ち込めた世界を,赤々と昇る太陽が照らす様子は,まさに「フランスの夜明け」の情景であり,その説にこの上ない説得力を与えています。
エピソード
さて,『印象・日の出』には,あまりにも有名なエピソードがあります。
それは,あまりに斬新な作品であったために,発表時に評論家に酷評されたというものです。
酷評したとされる評論家の名前は,ルイ・ルロワ。
自身も実力ある画家でしたが,『印象・日の出』に対しては新聞上で以下のように記述しています。
「印象派」の用語は,この記事で誕生したと言われています。
この記事でルイ・ルロワは古典主義の権威である架空の画家を登場させて上記の評価を述べさせています。
ルイ・ルロワ自身も本当にこのように思っていたのか,それとも自身は印象派画家たちの芸術性を認めていたのかについては今日でも議論がなされています。
ただ,ルイ・ルロワ自身の考えは別として,多くの主流派画家たちが『印象・日の出』をはじめとする印象派の作品を「なんとなくの印象は受けるが,それだけの作品」といった見方をしていた可能性は高いでしょう。
しかし結果的に,モネやルノワールをはじめとする画家グループは自ら「印象派」と名乗り,以後「印象派展」を開催するなど精力的に活動していくことになります。
『印象・日の出』は,「印象派」の始まりを告げる絵画でもあったのです。
この名画の「謎」
さて,上記の解説を踏まえた上で,残る謎があります。
『印象・日の出』を「未完成な作品」と感じた評論家や画家たちにとっての「完成された作品」とはどのような作品だったのか?
『印象・日の出』が評論家によって「作りかけの壁紙の方が綺麗に仕上がっている」と記述されたのは先述の通りです。
ここで,印象派がこの後非常に高い評価を受けることを知っている21世紀の私たちが
「評論家」という割にはなんと見る目のない人でしょう(笑)
と笑うのは簡単ですが,フェアではありません。
何しろ当時,印象派は登場したばかりですから,同時代人による正当な評価が難しかったことは確かなのです。
そして,当時の評論家や主流派画家たちには彼らなりの評価基準があり,それを満たす作品もあったはずです。
それは,一体どのような作品で,『印象・日の出』とは何が違ったのでしょうか。
結論から言えば,当時主流となっていたのは「アカデミック美術」です。
このアカデミック美術に照らすと,印象派は異端中の異端だったというわけです。
ではアカデミック美術とはいったいどのようなものだったのか,下記にまとめてみました。
「アカデミック(学術的な)」の名前の通り,伝統・格式を重んじる美術様式であったというわけです。
どのような作品があるのかも見てみましょう。
いずれも神話や宗教,歴史など,当時最も高い評価を受けていたジャンル「歴史画」を主な題材にしていることが分かります。
こうしたテーマは鑑賞者に教養が求められ,王侯貴族に好まれました。
一方の印象派の作品は,この絵画ジャンルのヒエラルキーの中では中位〜下位に位置付けられる「風俗画」や「風景画」など,教養が無くても感覚的に楽しめるテーマで,一般市民や富裕市民(ブルジョワジー)に広く支持され,受け入れられていくことになります。
さて,話を戻しましょう。
『印象・日の出』を評価しなかった評論家や画家たちの頭にあった「完成された作品」とは,当時の本流で格式高いものとされたアカデミック美術の様式に従った作品に他なりません。
そこで,アカデミック美術の作品の中から,
- 港の風景を描いている
- 日の出もしくは日没の時間帯を描いている
という2つの条件に合致した絵画を探しました。
ご紹介するのは,クロード=ジョセフ・ベルネによる絵画『日没の風景』です。
制作されたのは1753年と,モネの『印象・日の出』より100年以上前ですが,作者のヴェルネはこの作品によって「王立絵画彫刻アカデミー」(先述のエコール・デ・ボザールの前身)に入会を認められました。
まさにアカデミック美術の保守本流に認められた「理想的な風景画」ですから,モネを酷評した評論家の頭にあった風景画の理想像というのも,このような作品であったはずです。
この作品を『印象・日の出』と比較してみましょう。
一目瞭然なのは,その筆致の違いです。
『日没の風景』はまるで写真のような絵画で,筆の跡をほとんど感じさせない滑らかな筆致で多くの物や人が丁寧に描き込まれ,澄んだ空気さえ感じさせます。
また,遠近法が強調され,自然と画面中央の夕日に目が吸い込まれていくような構図が取られています。
一方の『印象・日の出』は,画面全体に筆の跡がそのまま残っています。
また,モヤの立ち込める風景とはいえ,物や人の輪郭が非常に曖昧です。
唯一輪郭がはっきりしているのが太陽で,だからこそ太陽の存在感が際立っているとも言えるでしょう。
この両者を比較すると,アカデミック美術が主流の時代において『印象・日の出』が「粗い」という評価を受けたのは,無理もないことであったのが理解できるのではないでしょうか。
時代が印象派の作品を美術的価値のあるものとして受け入れるには,もうしばらくの時が必要だったのです。
まとめ
今回はモネの名画『印象・日の出』を取り上げました。
その結果,以下のようなことが分かりました。
- 『印象・日の出』は,朝のル・アーヴル港に昇る太陽を描いた名画
- 印象派の技法「筆触分割」を用いて描かれている
- 画面の背景には「煙突」や「クレーン」など,産業革命によって登場した近代的工業設備が描かれている
- 普仏戦争など時代の激動を乗り越えたフランスの復興への願いが込められているとする説がある
- 同時代の評論家や主流派画家には受け入れられず,「未完成な作品」という低い評価を受けることもあった
- 当時主流だったのは伝統・格式を重んじる「アカデミック美術」であり,『印象・日の出』など印象派の作品は斬新過ぎて,当初受け入れられなかったのは無理もないことだった
美術作品には,初心者だからこそ様々な視点で楽しめるという魅力があります。
今後も様々な作品を取り上げて鑑賞,考察していきたいと思います。
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最後までお読みいただきありがとうございました!!
参考書籍