作品プロフィール
タイトル:『牛乳を注ぐ女』
作者:ヨハネス・フェルメール
制作年代:1658-1659年頃
サイズ:45.5cm × 40.6cm
技法:油彩・カンヴァス
場所:アムステルダム国立美術館(オランダ)
はじめに
穏やかな光が差し込む室内に佇む,1人の女性。
その手には壺を持ち,別の壺に液体を注いでいる最中です。
女性は作業に集中しているのか視線を下へと向けており,静かな空気感が伝わってきます。
さて,この絵はどんな場面を表しているのでしょうか?
そして,この絵にまつわる謎とは?
解説
この絵が描いているのは,「パンを煮込むために器に牛乳を注ぐ家政婦」。
家政婦は,古くなり固くなってしまったパンを牛乳で煮込む「ブレッドプティング(パンプティング)」という料理を作ろうとしているところです。
『牛乳を注ぐ女』は『真珠の耳飾りの少女』と並び,フェルメールの代表作です。
さて,改めてこの絵を眺めてみましょう。
全体的にとても静かな空気感が漂っており,牛乳が器に注がれる音が今にも聞こえてきそうです。
鑑賞する人の目を引きつけるのは,やはり女性自身が目をやっている牛乳ポットの注ぎ口と,そこから注がれる牛乳です。
拡大してみると,牛乳が螺旋を描いて下の器に落ちていっていることが分かります。
この「液体の落下の様子」の写実的な描写が当時としては非常に画期的でした。
同時代の画家たちの描き方では,液体は直線状に流れ落ちるように描かれることが多かったのです。
同時代のオランダ人画家,ヘラルト・ダウの絵画『窓辺の家政婦』を例に見てみましょう。
『窓辺の家政婦』では,壺から水がそのまま直線状に流れ落ちていることが分かります。
実際に似たような壺で水を注いでみれば分かりますが,水がここまで均一の幅と厚みで流れ落ちることはありません。
一見すると小さな差にも思われますが,『牛乳を注ぐ女』の全てが静止した世界の中で,唯一「動き」を持つのが「ポットから滴り落ちる牛乳」ですから,この部分にリアリティがあるとないとで作品の印象は大きく違ったものになるのです。
次に注目するのは色づかいです。
この作品の色彩面の特徴は,家政婦の服の鮮やかな黄色と青色です。
黄色と青の組み合わせは『真珠の耳飾りの少女』と同じですが,『牛乳を注ぐ女』の場合は青色がより一層鮮やかになっています。
フェルメールは青色を好んで用いましたが,当時青色は宗教画で聖母マリアの衣装を描くときなどに用いられる,色の中でもとりわけ高貴で気高い色だったのです。
この青色の原料はなんと宝石(!)のラピスラズリ。
宝石をすり潰して「ウルトラマリン」という絵の具にしていたのです。貿易によって中東のアフガニスタンからもたらされたこの宝石の価値は当時,ゴールドと同じかそれ以上とされました。
(あまりに贅沢に使い過ぎて,フェルメールの死後,奥さんは破産することになります)
この名実ともに高貴そのものの色を,家政婦の家事の様子というありふれた場面を描いた絵で使用しているところにフェルメールのこだわりを見ることができます。
青色と黄色は互いに引き立て合う「補色」の関係にあるため,鑑賞者は画面中心の家政婦に強く視線を引かれることになります。
もう一箇所,テーブルクロスの深い緑色と,家政婦の足元を覆うスカートの赤色も補色の関係にあり,鑑賞者に「色」の美しさを強く印象づけます。
最後に,「光」に注目してみましょう。
フェルメールは柔らかな光を描いた「光の画家」として知られますが,この作品でもその特徴が見られます。
『真珠の耳飾りの少女』と同じく,フェルメールは特に目立たせたいところに光が当たっていることを強調するため「光の雫(しずく)」を配置するという技法を用いています。
より引いた目で作品全体に注目してみましょう。
対角線を引いてみると,画面右上の光が当たる「明」の部分と,左下の影になり落ち着いた色づづかいの「暗」の部分がはっきり分かれていることが分かります。
画面をくっきり分ける「明」と「暗」のコントラストが作品に安定感を与え,鑑賞者に美しさを感じさせます。
また,コントラストという意味では,テーブルの上に様々なモノが並ぶ画面左下部分に比べて,右上部分は何もモノが無いという好対照をなしています。
実は画面右上の白い壁部分には,元々「地図」が描かれていたことがエックス線調査で分かっています。
フェルメールが他作品(『水差しを持つ女』)に描いた地図を合成してみました。
個人的には,女性の四隅が何かしらの物で囲まれたことで安定した印象を受ける一方で,雑多で窮屈だとも感じます。先述の「明と暗」「モノの有無」のコントラストも崩れてしまいました。
台所という場所はただでさえ物が多くなりがちですが,『牛乳を注ぐ女』は,右上に白々とした壁が広がることで空間の静けさが強調され,家政婦自身と家政婦が注ぐ牛乳に視線・意識が集中する設計となっています。
同時代のオランダ人画家のヘラルト・ダウの台所を描いた作品『玉ねぎを刻む少女』と『水を注ぐ女』(『牛乳を注ぐ女』に影響を与えたとも言われる)を観てみましょう。
フェルメール作品とかなり異なる印象を受けるのではないでしょうか。
『牛乳を注ぐ女』の画面構成は,一度壁に描いた地図を消したフェルメールの「引き算の美学」によって裏付けされていることが分かります。
この名画の「謎」
さて,上記の解説を踏まえた上で,残る謎があります。
フェルメールは,なぜこれほどありふれた日常の場面を題材に絵を描いたのか?
『牛乳を注ぐ女』を一言で表せば,「家政婦が料理をしている絵」です。
宗教や歴史上の出来事ではなく,「家事」というあまりにありふれた日常の一場面をテーマにした美術作品は,これまで多くの有名作品を取り上げてきた本サイトの「アート」カテゴリでも他に見当たりませんし,誰もが知る美術作品の中でも異色と言えます。
フェルメールは,なぜこれほど生活感漂う作品を制作したのか。
そこには,フェルメールが生きた17世紀オランダの時代背景と,フェルメール家特有の事情がありました。
時代背景
フェルメールが活躍した17世紀のオランダは,「黄金時代」と呼ばれる繁栄を享受していました。
オランダ産の乳製品や毛織物などを輸出する「バルト海貿易」に代表される貿易活動が盛んで,それを支える造船業が高度に発達しており,年間2,000隻(1日平均6~7隻)を超えるペースで新しい船が造船されていたといいます。
17世紀半ばのヨーロッパには約25,000隻の船舶があり,そのうち15,000隻(60%)がオランダ船であったとする推計データもあるほどです。
貿易を通じて様々な外国文化が伝わり,オスマン帝国からチューリップの球根がもたらされて有名な「チューリップ・バブル」が起きたのもこの頃です。
17世紀オランダは,芸術家にとって極めて特殊な環境にありました。
それまでオランダ地域はヨーロッパ屈指の名門貴族であるスペイン・ハプスブルク家の支配下にありましたが,重税を強いるなどしたスペインに対してオラニエ公ウィレムを中心として反乱が起こり,16世紀末に共和国として事実上の独立を果たしました。
他のヨーロッパ諸国との違いは,支配階層が王族・貴族などではなく,貿易で莫大な利益を得た商人などを中心とする富裕市民だったことです。
かつ,宗教面ではカトリックではなくプロテスタントが大勢を占める国家であったため,教会は質素で装飾美術品が少なくなります。
これはつまり,美術品の大口注文主である王侯貴族と教会からの注文が期待できないという芸術家にとっての死活問題につながります。
必然的に芸術家たちは新しい市場,すなわち富裕市民を中心とする市民層に向けて美術品制作を行うことで生き残りを図りました。
市民に売れるのは,壮大な歴史画や宗教画ではなく,住宅の室内に飾るのに適したサイズ・テーマの風俗画や風景画です。
下の『ヴァージナルの前に立つ女』のようなフェルメール作品の中にも風景画が飾られています。
伝統的な絵画ヒエラルキーでは下位にあったこれらのジャンルの絵画は,結果的に大ヒットしました。
富裕市民がコレクションとして絵画を買い集めたばかりでなく,一般市民までもが絵画を求めたために巨大な絵画市場が出現したのです。
一説によると,17世紀オランダで制作された絵画は,なんと600万点を超えるといいます。
需要も供給も他国と比較にならない高いレベルにあったわけで,イギリスやイタリアからやって来た外国人旅行者は驚きを日記に綴っています。
絵画芸術と絵画を愛する人々の気持ちということでいえば,彼ら(オランダ人)に勝る者はなかろう。彼らは…みな熱心に自分の家を絵で飾る。特に外側の,通りに面した部屋には高価な絵画を掛ける。肉屋やパン屋も,店に絵画を飾ることにかけては,負けていない。
イギリス人旅行者ピーター・ムンディの1640年の日記より
(『フェルメールとそのライバルたち』p.39)
こうしてオランダでは,風俗画や風景画などで歴史に名を残す画家が次々と誕生しました。
フェルメールは,新ジャンルの開拓に単身挑んだ変わり者では決してなく,時代が求めたテーマを的確に描いた多くの画家の1人だったのです。
巨大な絵画マーケットが出現したオランダ以外のヨーロッパ諸国でも「バロック」と呼ばれる美術様式が登場しました。強烈な光と影のコントラストや大胆な構図を特徴とし,鑑賞者に劇的な印象を与えます。
バロックとはポルトガル語の「バロッコ(歪んだ真珠)」に由来し,理想的な美を追求するルネサンスに対して,表現が大げさで品位に欠けるものという批判を含んだ言葉でした。
フェルメール家の事情
さて,家事を描いた風俗画はこの時代としては特別珍しいというわけではありませんでしたが,その中でも「家政婦がパンと牛乳を使って料理をしている絵」をフェルメールが描いたのには,それなりの事情があったようです。
その事情とはズバリ,パン代のかわりに絵を描いたということ!
フェルメール家は,フェルメール夫妻と義母(妻の母親),11人の子供から成る14人の大家族でした。
フェルメールの義母は裕福な人で画業の援助もしてくれ,フェルメールは29歳で聖ルカ組合(画家の同業者組合)の最年少理事に選出されるなど頭角を表します。
それでも大家族を抱えるフェルメールの生活は困窮を極めており,日々のパン代にも事欠くありさまでした。
そこでフェルメールは,パン代を払えないかわりにパン屋に自分の絵を渡すことにします。
(パン代の前払いだったのか,ツケ代としてなのか,正式に注文を受けたのかは不明)
これを目撃したのが,フランス人旅行者のバルタザル・ド・モンコニーという人物です。
彼の旅行記には,既に海外にまで名が聞こえていたフェルメールのアトリエを訪れたことが記されています。
- フェルメールの作品を見たいと思ってアトリエを訪ねたが,作品は自分では所有していないと言われた
- 近所のパン屋に作品があると言われてパン屋に立ち寄ると,一人の人物が描かれた絵画を発見した
- その絵画の購入価格が600ギルダーだと聞いてその価格の高さに驚いた
(※フェルメール家の場合,約3年分のパン代を賄える金額)
このパン屋とは絵画コレクターでもあったヘンドリック・ファン・バイテンという人物で,フェルメール家から徒歩10分もかからない場所でパン屋を経営していました。
この旅行者の目撃した絵こそ,恐らく『牛乳を注ぐ女』であったと考えられています。
フェルメールは,パン屋に引き渡す絵画を描くにあたり,パン屋にピッタリの題材として「牛乳とパンを使って料理をする家政婦」という題材を選んだ可能性があるのです。
ちなみにフェルメールはこの後もパン代を滞納し続け,43歳で亡くなった直後の1676年1月時点で617ギルダーと,再び約3年分のパン代のツケを抱えていたことが分かっています。
そしてその借金のかたとして『手紙を書く女と召使』『ギターを弾く女』の2作品をパン屋に譲渡しています。
(借金返済できれば返してもらうという条件付きだったが,結局取り戻せなかった模様)
余談:NHKの美術番組『びじゅチューン!』
NHKの美術番組で『びじゅチューン!』という番組があります。
世界の有名美術を題材に,映像アーティストの井上涼さんがオリジナルの歌とアニメーションを展開する番組で,私のイチオシが今回取り上げた『牛乳を注ぐ女』がベースになっている『何にでも牛乳を注ぐ女』です。
一度聞くと耳に残る,とても印象的な作品となっているので是非一度ご覧になってみてください。
まとめ
今回はフェルメールの名画『牛乳を注ぐ女』を取り上げました。
その結果,以下のようなことが分かりました。
- 『牛乳を注ぐ女』は,固くなったパンを調理するため牛乳を注ぐ家政婦を描いた名画
- 牛乳がポットから滴り落ちる様子が非常にリアルに描かれている
- 「フェルメール・ブルー」と呼ばれる鮮やかな青と黄色など,補色関係にある色が巧みに使われている
- 画面の明暗やモノの有無といったコントラストが効果的に使われている
- 家事というありふれた日常生活の一場面を描いたのは,17世紀オランダの社会状況と,パン屋への借金というフェルメール家特有の事情が関係している
美術作品には,初心者だからこそ様々な視点で楽しめるという魅力があります。
今後も様々な作品を取り上げて鑑賞,考察していきたいと思います。
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最後までお読みいただきありがとうございました!!
参考書籍