アート

なるほど名画解説!−レンブラント『夜警』−

作品プロフィール

タイトル:『夜警』
作者:レンブラント・ファン・レイン
制作年代:1642年
サイズ:363cm × 437cm
技法:キャンバスに油彩
場所:アムステルダム国立美術館(オランダ)

はじめに

薄暗い闇の中を進む,大勢の人々。
その格好はどこか古風で,銃や槍などの武器を手に取っている人もあり,厳かさを感じさせます。
男性がほとんどですが,白い服を着た少女の姿も見えます。

さて,この絵はどんな場面を表しているのでしょうか?
そして,この絵にまつわる謎とは?

解説

この絵が描いているのは,「オランダ・アムステルダム市の市民警備隊」。

フェルメールによる『牛乳を注ぐ女』『真珠の耳飾りの少女』などと並び,17世紀のオランダ黄金時代を代表する作品です。

さて,①描かれた人々 ②時代背景 ③題名にまつわるエピソードという3つの観点からこの絵を見ていきましょう。

① 描かれた人々

手前の2人

画面の中でひときわ目を引くのが,画面手前中央の男性2人です。
左の黒い服の男性が市民警備隊隊長のバニング・コック。右の白い服の男性が副隊長のファン・ライテンブルフという人物です。

全身と顔がはっきりと描かれきっているのはほぼこの2人だけであり,まさに別格の扱いです。
この集団肖像画は描かれる人々がレンブラントにお金を出し合って制作を依頼し,位置や描かれ方が目立つほど高額な料金が必要だったと言われています。

隊長と副隊長はそれぞれ「領主」の称号を持つ都市貴族で,他の隊員は裕福な布地商人を中心とする人々であり,そうした社会的地位の差も描かれ方に反映されていると言えます。

隊員たち

さて,他の隊員たちの様子はどうでしょうか。
隊長・副隊長の次に目を引くのが画面左の赤い服に身を包んだ男性です。
この男性は,手に銃を取ってその先を触っているようです。

これは,「弾薬を装填する動き」です。
実は,隊長と副隊長の後ろに隠れて,「発砲」「灰の除去」というその後に続く一連の銃使用のプロセスが描かれており,この肖像画に描かれた集団がどのようなものなのかを暗示しています。

それにしても,「発砲」は唐突過ぎます。
銃の携行とともに「行進中の火器の使用」も市民警備隊の特権として認められていたため,その誇示とも考えられますが,隊長と副隊長の間にいる男性は,突然の発砲に驚いた表情で手を体の前に上げています。
(逆に,隊長と副隊長の落ち着き払った様子が際立ちます)

他にも槍を掲げた隊員がいたり,画面右端には太鼓を打ち鳴らして行進を盛り上げる隊員がいたり,その足元には吠えかかる犬がいたり…と,なかなか画面が賑やかです。

謎の少女(女性)

次に,謎の少女(女性)に注目です。
身長が周りの隊員たちに比べて低いため少女に見えますが,その顔つきは大人っぽく,「女性」と表現しても違和感がありません。
他にも仲間がいるようですが,顔が見えているのは画像の少女だけです。

この少女は,火縄銃手組合の象徴,あるいは擬人化した姿と言われています。
金と青の衣装は火縄銃手組合の紋章の色として用いられてきたものです。
また,腰にぶら下げられているニワトリの爪も紋章のモチーフです。
さらに,分かりにくいですが顔の横に銀の盃が掲げられており,これは火縄銃手組合の宴会で用いられるものです。

少女は怯えたようにも見える表情をしており,その視線の先には先ほどの発砲している人がいます。
特権の濫用を看過しないという火縄銃手組合の姿勢を表しているのかもしれません。

人物の配置

『夜警』が特徴的なのは,そのドラマチックな構図です。
肖像画であるにもかかわらず,手前の人の腕に遮られて顔が隠れている隊員さえいるのがすごいところです。

それまでの集団肖像画では,全員をほぼ同じ見せ方で描くのが普通でした。
以下で,従来の様式の集団肖像画と『夜警』の比較をしてみてください。

大きく印象が異なることがお分かりいただけると思います。
これを目撃した同時代の画家の1人は,『夜警』についてこのように称賛しています。

これ(『夜警』)に比べると,そこ(火縄銃手組合の集会所大ホール)にある他の市民隊肖像画がみなトランプのように見えてしまう

② 時代背景

次に,この作品の制作当時の時代背景を考えてみましょう。

『夜警』が描かれたのは1642年のこと。
前世紀の16世紀後半まで,オランダ地域はヨーロッパ屈指の名門貴族であるスペイン・ハプスブルク家の支配下にありましたが,重税を強いるなどしたスペインに対してオラニエ公ウィレムを中心として反乱が起こり,16世紀末に共和国として事実上の独立を果たしました。

オラニエ公ウィレムオラニエ公ウィレム

他のヨーロッパ諸国との違いは,支配階層が王族・貴族などではなく,貿易で莫大な利益を得た商人などを中心とする富裕市民だったことです。

この市民社会の中で,大きな力を持ったのが同業者組合である「ギルド」でした。

当時,一流画家として名声を確立していたレンブラントに『夜警』の制作を依頼した火縄銃手組合もこうしたギルドの一つでした。

 アムステルダムには3つの市民警備隊があり,その歴史は14世紀に遡ります。1642年の時点では既に戦争は終わっており,市民警備隊はその軍事的役割を終えていましたが,市門の警備や犯罪抑止,市内行進の先導といった場面で活躍していました。警備隊に参加することは市民の誇りであり,大変な名誉と考えられていました。

③ 題名「夜警」のエピソード

『夜警』はあまりにも有名な題名ですが,実はこの題名は「勘違い」により名付けられ,19世紀初頭頃から定着してきたものです。どういうことか見ていきましょう。

現在の『夜警』は画面全体が暗く,それ故に明暗がくっきり分かれて劇的な印象を与えます。

夜警

しかしこれは,画面に何重にも塗られた「ニス」が経年変化で黒ずんだために夜の場面に見えるのであり,
実際には昼間を描いた絵画なのです。
他の画家によって描かれた以下の水彩模写を見ればそれが実感いただけます。

他の画家による『夜警』の水彩模写(1649-1655頃)他の画家による『夜警』の水彩模写(1649-1655頃)

これほど世界的な絵画の題名が勘違いによるものというのは面白いですね。

この名画の「謎」

さて,上記の解説を踏まえた上で,残る謎があります。

『夜警』が勘違いから生まれた題名なら,この作品の「本当の題名」は何なのか?

その画面の暗さゆえに,夜を描いた絵画だと勘違いされて『夜警』という題名が付いたのは前述の通りです。
それでは,『夜警』の「本当の題名」は何なのでしょうか?

夜警

気になる『夜警』の本当の題名,それは…

ありません!!

なんだそりゃ?題名がないはずないだろうと思った方もいるかと思いますので,以下詳しく解説します。
そもそも「本当の題名」とは何かを定義すると,「作者自身が制作/発表時に作品に与えた名前」になります。

現代を生きる私たちの感覚では,美術作品にそうした題名が付いているのは当たり前です。
しかし,実は西洋美術の世界では18世紀になるまで,美術作品に作者自身が題名を付けるのは必ずしも一般的ではありませんでした。

それはなぜかというと,「題名が必要とされていなかったから」です。
18世紀まで,有名画家に美術作品を依頼する注文者は王侯貴族や聖職者といった有力者が中心でした。

そうした依頼においては最初から描く主題が決まっていることも多く,主題について画家のオリジナリティが発揮される余地がなく,主題を説明するためのオリジナルの題名も不要だったのです。

では,現在有名な絵画に付いている題名はどのように決まっているものなのでしょうか。
主流の3パターンを下記にまとめてみました。

このように,現代の私たちがイメージする「作者自身が付けた題名」以外にも「聖書や神話のテーマ名」や「通称」が題名となっているパターンもあるのです。

下記の有名絵画に,上記いずれのパターンが当てはまるのかを考えてみましょう。

いかがでしょうか?
正解は,以下になります。

 誰もが一度は見たことがあり,題名も超有名な作品ばかりですが,作者が題名を付けたことが確定しているのは『民衆を導く自由の女神』(1830年制作)と『印象・日の出』(1872年制作)だけです。

 では,題名を作者が付けることが一般化した18世紀から19世紀前半にかけて何が起きたのか。
それは,「①展覧会」「②美術館」「③美術市場」の発達です。

これらの変化をまとめるキーワードは「美術の大衆化」です。
18世紀以前は,王侯貴族や教会などの有力者が発注して芸術家が作品を制作するという流れが主流でした。
しかし18世紀(特に後半)以降は富裕層を中心として一般市民が美術に触れる場所・機会がそれまでに比べて増加したのです。

こうして広い意味での「美術市場」の裾野が拡大し,顧客の絶対数の増加とともに作品の制作点数も増加し,「不特定多数の顧客がいる」「他の作品との区別の必要性がある」「画家のオリジナリティが要求される」といった理由から,美術作品には作者による題名が付けられるようになったのです。

夜警

『夜警』の場合は,「通称」が長らく使われた結果,今日では題名として認知されている状態です。
発注者はアムステルダムの火縄銃手組合という当時の有力団体で,かつオーダーメイドの集団肖像画ですから,画家によるオリジナルの題名は不要だったはずです。
(※一部書籍等では『フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルフ副隊長の市民隊』などが正式な題名とする説を取っているものもあるが,これは本作品のスケッチの横に走り書きされた筆跡に基づくもので,筆跡すらレンブラント本人のものと証明されていない)

 元々は無題だったと思われる作品に「夜警」という通称が付いたのは,この作品が展示された「場所」がカギになると考えられます。
 この作品は1642年の完成後,発注元の火縄銃手組合の集会所大ホールに展示されていましたが,1715年にアムステルダム市役所に移されました。その後,ナポレオンによるオランダ占領を乗り越えて1885年にアムステルダム国立美術館の代表的展示作品となります。

 このように,オーダーメイド作品ではあったものの,火縄銃手組合の大ホールや市役所など,普段から不特定多数の人の目に触れ,作品が話題にされる環境であったことが,通称が付いた主な要因の一つであると考えられます。「夜警」という通称は19世紀初頭ごろからあったと伝わるので,ナポレオンによるヨーロッパ制覇前後に付いたものと思われますが,それまでにも「夜警」以外の通称が何かあったのではないかと推察されます。

まとめ

今回はレンブラントの名画『夜警』を取り上げました。
その結果,以下のようなことが分かりました。

  • 『夜警』は,17世紀オランダ・アムステルダムの市民警備隊が出動する様子を描いた名画
  • 隊長と副隊長の描かれ方が異なるのは,他の隊員たちよりも高い料金を支払っているためと,この2人の身分が高いため
  • 弾薬の装填から発砲,清掃といった,市民警備隊の特権である「銃の所持・使用」が象徴的に描きこまれている
  • 謎の少女(女性)は市民警備隊の象徴・擬人化と考えられる
  • 『夜警』は従来の集団肖像画とは描かれ方が全く異なり,ドラマティックな印象を作り出すことに成功している
  • 火縄銃手組合(市民警備隊)は当時有力な団体であった「ギルド(同業者組合)」の一つで,参加は市民にとって名誉なことだった
  • 昼間の場面を描いているにもかかわらず,ニスの変色により画面が暗くなり夜の場面と勘違いされて『夜警』の通称がついた
  • 絵画に作者が題名をつける行為は18世紀以降に発達したものであり,『夜警』にもレンブラント自身がつけた題名はないと考えられる

美術作品には,初心者だからこそ様々な視点で楽しめるという魅力があります。

今後も様々な作品を取り上げて鑑賞,考察していきたいと思います。
(Google検索1位を獲得した記事を複数含む「アート」カテゴリも是非ご覧ください)

最後までお読みいただきありがとうございました!!

参考書籍

ABOUT ME
もりお
もりお
猫と糖分を愛する経営コンサルタント