作品プロフィール
タイトル:『レディ・ジェーン・グレイの処刑』
作者:ポール・ドラローシュ
制作年代:1833年
サイズ:246cm × 297cm
技法:油彩
場所:ナショナル・ギャラリー(イギリス・ロンドン)
はじめに
薄暗い空間に浮かび上がる,白い服の女性。
その頭には,なぜか白い布の目隠しが巻かれています。
そして,画面右端に立つ筋骨隆々の男性は,なんと巨大な斧に手をかけています。
さて,この絵はどんな場面を表しているのでしょうか?
そして,この絵にまつわる謎とは?
解説
この絵が描いているのは,「イングランド史上初の女王,ジェーン・グレイの処刑」。
ジェーン・グレイは1554年の処刑当時,わずか16歳4ヶ月の若さでした。
彼女自身はなりたいと思って女王になったわけではありません。
しかも,王座に就いていたのはたったの9日間。
その在位期間のあまりの短さから,「9日間の女王(Nine-Day Queen)」との異名があります。
女王といえば国家の最高権力者ですが,なぜ処刑されてしまうことになったのか。
詳しくは後述しますが,処刑を命じたのは,ジェーンの次に王座に就いた女王・メアリー1世でした。
プロテスタントを中心に多くの人々を処刑台に送り,後の世に「ブラッディー・メアリー(血のメアリー)」と呼ばれ恐れられたイングランド女王です。
簡単に言ってしまえば,メアリー1世がジェーン・グレイを処刑したのは,先代の女王であるジェーンが自分の統治の邪魔になる存在だったからです。
ジェーンは,自分の次の代の女王との権力闘争に敗れて処刑されたと言えます。
さて,改めてこの絵を眺めてみましょう。
全体的に薄暗く,なんとも言えない重苦しい雰囲気があります。
もし何の予備知識も持たずにこの絵を眺めたとしても,喜ばしい場面を描いたものでないことはすぐに分かるでしょう。
描かれている人物たちについて,整理してみました。
場所は,ロンドン塔の地下牢と思われる空間。
中央の白いサテンのドレスに身を包んだ女性がジェーン・グレイです。
白い布の目隠しをされ,司祭に導かれて手を前に伸ばしています。
彼女が手探りで探しているのは,なんと自分の首を置いて首を斬られるための「斬首台」です。
台は金輪とロープで地面にしっかりと固定され,周囲には飛び散る血液を吸うためのワラが敷かれています。
見ているだけでその後の展開が想像され,鑑賞者をゾッとさせます。
一方,目隠しをしているため読み取りにくいものの,ジェーン自身の表情は恐怖や苦悩に歪んでいるようには見えません。
(史実でも,ジェーンは取り乱すことなく従容として処刑を受け入れたと伝わります)
むしろ隣で何事かを囁いている司祭の方が,同情からか眉間にシワを寄せた険しい表情をしています。
司祭と同様,ジェーンに同情の視線を送っているのが画面右端の処刑人です。
見るからに鍛え抜かれた体つきが見事ですが,その顔は16歳の少女の命を奪う葛藤に歪んでいます。
中世ヨーロッパでは,処刑人という職業が専門職として成立しており,地域によっては代々処刑人を務める一族(フランスのサンソン家が有名)がいるほどでした。
彼らは死刑と決まった人間を日夜処刑するわけですが,そんな仕事人もさすがに同情を顔に出さざるを得ないほどの相手が16歳の少女,ジェーン・グレイだったと言えるでしょう。
2人の侍女はいずれも,仕えてきた主人がこれから処刑されようとしている現実を受け入れられずにいます。
1人は円柱にすがりついてむせび泣き,もう1人の侍女はジェーンの身につけていたマントと宝石類を(処刑の邪魔にならないよう)預かったまま半目を開いて失神寸前です。
芸術作品としてこの絵が優れているのは,鑑賞者に非常に劇的な印象を与える点です。
ジェーンが身にまとう純白のドレスは,周囲の人物の暗色の服装や薄暗い空間との強烈なコントラストを生み出し,この絵の主役であるジェーンの存在感を高めます。
また,ジェーン本人の覚悟を決めた様子と相まって,「潔さ」や「身の潔白」までもが感じられます。
(日本人であれば,武士が切腹する際の白い死装束を想起する方もいらっしゃるかもしれません)
ジェーンの白い肌と瑞々しい唇,豊かなブロンドの髪といった若い生命を象徴するような美しい姿が,この一瞬ののちには無惨に終わりを迎えてしまうことを知っている鑑賞者にまた,「生と死」のコントラストを感じさせます。
この作品は光と闇,生と死のコントラストを見事に描き出しているからこそ,多くの人々に劇的な印象を与えてきたのです。
文豪の夏目漱石もその一人です。
漱石はイギリス留学時代,この作品を目にして思わずこの処刑の場面に立ち合っているかのような幻想を抱き,それを『倫敦塔(ロンドン塔)』という小説に描写しています。
そして幻想を終えた漱石は,小説の最後の部分でこのように述べています。
(前略)
ジェーン所刑(処刑)の場については有名なるドラロッシの絵画がすくなからず余の想像を助けている事を一言していささか感謝の意を表する。
夏目漱石『倫敦塔』
さて,最後に「史実との相違点」を見て解説パートを終えたいと思います。
先述のように,薄暗い空間の中でジェーンの白い姿が浮かび上がるのが劇的な効果を生むということでしたが,実際の処刑はロンドン塔の室内ではなく,屋外の「タワー・グリーン」と呼ばれる広場(下地図の色付けした場所付近)で衆人環視のもと行われました。
下は,今回の絵とほぼ同時期に描かれたジェーン処刑の場面で,より実際の状況に近いと思われる作品です。
処刑人が斧を振り上げ,まさにジェーンの首を落とそうという瞬間を描いています。
聖職者が同情の表情を浮かべ,侍女が顔を背けて泣いているのはドラローシュ作品とよく似ていますが,処刑台が屋外に設置され,大勢の人が周囲を取り囲んでいる点が大きく異なります。
色が白黒のみということもありますが,ジェーンが目立たずに大勢の人物の中に隠れるような印象を受けます。
ドラローシュの描いた薄暗い室内という空間の静寂性や,衣装や人物の描かれ方のコントラストが,劇的な印象の形成にいかに重要な役割を果たしているかがよく分かります。
この名画の「謎」
さて,上記の解説を踏まえた上で残る謎があります。
ジェーン・グレイは,なぜ処刑されなければならなかったのか?
わずか9日間とはいえ,王位にあったジェーン・グレイは国家の最高権力者でした。
それが,なぜ処刑されてしまうことになったのか。
先述のように,「次に王位に就いたメアリー1世の邪魔になったから」ですが,もう少し詳しく見ていくことにしましょう。
彼女に,処刑を逃れる道はなかったのでしょうか?
運命を決めたポイントは,以下の3つです。
- ジェーンの王位継承権を利用した義父の計画
- メアリー1世に反旗を翻した実父の行動
- カトリックへの改宗を拒否したジェーン自身の選択
運命の分岐点① ジェーンの王位継承権を利用した義父の計画
最初の運命の分岐点は,ジェーンの王位継承権と,それを利用した義父の計画です。
そもそもジェーンは当時のイングランド王室にとってどのような立場にあったのか?
家系図をまとめてみました。
これを見れば,ジェーンの立場がよく分かります。
ジェーンは,祖母がヘンリー8世の妹だったというだけの立場なので,いわば「傍流」で,普通であれば王位はジェーンまで回ってきません。
何しろ,ヘンリー8世は生涯に6回も結婚を繰り返した王様で,「直系」の有力な王位継承権者が妻たちとの間にできた子の中にいたからです。
ヘンリー8世は男子の跡継ぎを求め,生涯に6回もの結婚を繰り返しました。
最初の妻を筆頭に離婚時にはトラブルも多く,6人の妻のうち2人を処刑しています。
実際,ヘンリー8世の子供の中で唯一成長した男児であるエドワード6世に王位は渡ります。
ところが,エドワード6世は病に冒されており,早晩世を去るであろうことは誰の目にも明らかでした。
こうなると,王位を巡った駆け引きが必ず起こるのが中世ヨーロッパです。
エドワード6世の臣下であったジョン・ダドリーは,ジェーンがヘンリー7世の血を引いていることに目をつけ,息子のギルフォード・ダドリーと結婚させます。
女王の義父となり,絶大な権力を手中に納めようと言うのが彼の策略でした。
そして,ジェーンこそ王位に就くべきと病床のエドワード6世を説得するのです。
エドワード6世が死去すれば,通常であれば王位は継承権第2位のメアリー1世に渡りますが,ジョン・ダドリーは次のようなロジックを用いて強引にジェーンを王位に就かせることに成功します。
- メアリー1世は「カトリックの守護人」を自負するハプスブルク家出身の母を持つカトリックの熱心な信奉者であり,熱烈なプロテスタントであるエドワードとは全く考えが相入れない
- メアリー1世はエリザベス1世とともに「庶子(王位継承権を持たない子供)」とされていた時期があるため,ジェーンが2人分を抜かして王位に就くべきだ(※本来の王位継承権は第4位)
王位に就く気は全くなかったジェーン・グレイは,いつの間にか自分が女王として即位することになったと知り,心底驚愕したと伝わります。
運命の分岐点② メアリー1世に反旗を翻した実父の行動
さて,こうして乗り気でないながらも即位したジェーンでしたが,黙ってはおられないのが,本来エドワード6世の跡を継いで即位するはずだったメアリー1世です。
ジョン・ダドリーはジェーン即位後の反乱分子となり得るメアリーを捕らえようとしますがメアリーは地方へ逃れ,ジェーンの即位は正当なものでないと主張し反乱を起こします。
これが予想外に大きな支持を集め,貴族や民衆がメアリーの下にやってきました。人々は,ジョン・ダドリーがエドワード6世を誘導し,自分の意向を反映させやすいジェーンを王位に就けたことを見抜いていたのです。
たちまちメアリーはロンドンにとって返し,即位を宣言するとともにジェーンと夫ギルフォード・ダドリー,そして黒幕であるジョン・ダドリーらを拘束し,期間を置かずジョン・ダドリーを大逆罪で処刑しました。
メアリー1世,この時37歳。
熱心なカトリック信者として,対立するプロテスタント信者を女性・子供含めて300人以上処刑し「ブラッディー・メアリー(血のメアリー)」と恐れられていました。
しかしさすがの彼女も,ただ義父に利用された15歳の少女に過ぎないジェーン・グレイを処刑する気はありませんでした。
ところが,メアリー1世が選んだ結婚相手がスペイン王フェリペ2世であったことから,イングランドがスペイン支配下に陥ると反発した貴族らが「ワイアットの乱」という反乱を起こします。
この乱の指導者の1人がジェーンの実父であるヘンリー・グレイであったことから,ジェーンを生かしておいては反乱の原因になる,処刑すべきだとメアリー1世の周囲から声が上がります。
なおも慎重なメアリー1世でしたが,婚約に対する反乱を起こした主導者の娘であるジェーンを処刑しないと婚約を破棄するとスペイン側からも通達があり,ついに処刑を決断します。
運命の分岐点③ カトリックへの改宗を拒否したジェーン自身の選択
最後のチャンスとして,処刑直前のジェーンに,カトリックに改宗するのであれば命だけは助けても良いという申し出がありました。
ところが,ジェーンはこの申し出を拒否します。
夫であるギルフォード・ダドリーが自分に先立ち処刑されていたため,夫のところに早く旅立ちたいと考えたとも,生きながらえたとしても一生続くであろうロンドン塔での幽閉生活に嫌気がさしたとも言われています。
純粋な宗教的観点から見ても,改宗とは現代人が考えるほど簡単なものではありません。
ドラローシュ作品でも,プロテスタントであるジェーン・グレイの処刑に立ち合っている聖職者はカトリックの「司祭」です。ジェーンは手を差し伸べる司祭の手を取るでも,会話をするでもなく,口をキュッと結んで決然と斬首台を探しているように見えます。
司祭を頼る様子がないのは,彼がジェーンの信仰するプロテスタントの聖職者(牧師)ではないことも影響していると見て良いでしょう。
1554年2月12日。
ジェーン・グレイはこうして処刑を免れる最後のチャンスに自らNoを突きつけ,わずか16歳4ヶ月の人生に幕を下ろしたのでした。
その後
処刑後,まだ20歳にも満たないジェーン・グレイ夫妻の処刑は,あまりにも酷いことだとして当時から多くの人々の同情を集めました。
また,処刑を実行したメアリー1世は,ただでさえプロテスタントへの弾圧で強まっていた不人気ぶりに拍車をかけ,その命日は死去から200年もの間「圧政から解放された日」として祝われたと伝わります。
ジェーン・グレイの悲劇は当時から多くの芸術家により絵画や演劇の題材として取り上げられ,人々の記憶から消えることはありませんでした。
現在,処刑が行われたロンドン塔のタワー・グリーンには,ジェーンらこの場所で命を落とした人たちのための慰霊モニュメントが設置されています。ジェーンの命日には,訪れる人により花が手向けられるとのことです。
また,ジェーンを公式な君主として認めることに否定的な歴史家も存在します(そのため「クイーン」ではなく「レディ」・ジェーン・グレイと呼ばれる)が,現在のイギリス王室はジェーンをテューダー朝第4代の君主として正式に認め,ホームページで紹介しています。
まとめ
今回はドラローシュの名画『レディ・ジェーン・グレイの処刑』を取り上げました。
その結果,以下のようなことが分かりました。
- 『レディ・ジェーン・グレイの処刑』は,1554年に起きた処刑事件を題材にした名画
- 薄暗い室内と純白のドレスのジェーンの姿が強烈なコントラストを作り出し,鑑賞者に劇的な印象を与える
- 文豪の夏目漱石もこの絵画を目撃し,インスピレーションを得て作品を執筆した
- ジェーンの処刑が実行されるまでには,「①義父の計画 ②実父の反乱 ③ジェーン自身の選択」という分岐点が存在した
- ジェーンの悲劇は時代を超えて語り継がれ,現在のイギリス王室では正式な君主として認められている
美術作品には,初心者だからこそ様々な視点で楽しめるという魅力があります。
今後も様々な作品を取り上げて鑑賞,考察していきたいと思います。
(Google検索1位を獲得した記事を複数含む「アート」カテゴリも是非ご覧ください)
最後までお読みいただきありがとうございました!!
参考書籍