わたくしサメの助、最近の生活に張り合いがないように感じています。
なんだかあまり面白くない。
もしかして、この記事にたどり着いたあなたも、同じようなことを感じていませんか?
この記事では、生活がつまらなく感じてしまっている理由と、その対処法について自分のために書いてみようと思います。
もし参考になることがあれば取り入れてみてください。
何故あなたの生活には張り合いがなくつまらないのか?
私は子供の頃の日々の生活を振り返ると、毎日を楽しく過ごしていたことを思い出します。
何もかもが新鮮で、なんでも楽しくて、充実していました。
ところが最近はどうでしょう?
人間関係に恵まれ、日々沢山やることがあるのになんだか充実感に欠け、なんとなくつまらないです。
それは何故なのでしょう?
持続的な「生きがい」が自分の中に設定できていなかった
最近の私は、自分で設定した目標をクリアすることを生きがいにしていました。
タスクを決め、15分刻みでスケジュールを立て、それらを全て達成することに満足感と生きがいを感じていました。
しかし、必ずしも毎日目標を達成できるとは限りません。
それに、1日を通して実現したことに対して満足するしないが決まるため、満足感を得るポイントがかなり後ろになってしまい、そこまでの道のりはあまり楽しいものではありません。
直近ではそもそも目標達成できた日の方が少なくなり、もはや苦しく感じながら日々を過ごしていました。
つまり、持続的に存在する「生きがい」を設定できていなかったため、日々をあまり楽しく過ごすことができていなかったのです。
生活の中で得る喜びを外部化してしまっていた
また、自分の中に設定していた「生きがい」から喜びを得られなかったため、私は生活の中で得る喜びを外部化してしまっていました。
どういうことかと言いますと、友人等周囲の人間との人間関係に依存してしまい、そこから得られる喜びのみを頼りにしてしまっていた、ということです。
もちろん人間は社会的動物ですから、他者とのコミュニケーションから得られる喜びを求めるのは、とても自然で健全なことです。
しかし、私の場合はあまりにそこに依存しすぎてしまっていたことが問題でした。
人間は誰しも完璧ではありません。
仮に何かが上手くいかなかったり不満が生じた時に、それを解決する手段が相手との間にしか存在しないとなると、それはとても不安定です。
つまり、自分で自分を満足させられるということが大事になってくるのです。
良い趣味を見つけることが大切
自分で自分を満足させられる、持続性のあるものとはなんでしょう?
それはずばり、趣味です。
なんと薄い意見でしょう。
それでも私は真面目です。
趣味は趣味でも良い趣味を見つけたいのです。
良い趣味とはなんでしょうか?
もちろん人によって「良い趣味」の定義は変わってくるとは思いますが、私は次の2つの要件を満たすことが大切だと考えています。
- 取り組むこと自体が自分自身を満足させる
- 共通の趣味を楽しめるコミュニティに属している
そこで私は、
- 楽器を演奏する
- 絵を描く
という2つの方向性で趣味を持つことにしました。
楽器は先日久しぶりにメンテナンスをして演奏できる状態にし、絵は技術向上のために取り組むテキストとして『キム・ラッキの人体ドローイング』を購入しました。
楽器も絵も技術向上が自分のパフォーマンスによってハッキリと感じ取ることができ、そこから喜びと満足感を得ます。
つまり、先ほどの「良い趣味」の要件のうち、「①取り組むこと自体が自分自身を満足させる」を満たします。
私は趣味を持っているだけ、取り組むだけでは満足できず、趣味の範囲内であったとしても技術向上・表現力向上など、自分がレベルアップしていくことにモチベーションがあるのです。
また、特に楽器に関しては合奏をすることで「②共通の趣味を楽しめるコミュニティに属している」を満たすことができますし、絵に関しても、共同作品を作ったりすることでこの要件を満たします。
きっとこれからはこの2つの「良い趣味」を楽しみ、充実した日々を過ごせることでしょう。
何故趣味がなかったのか、どうしたら趣味が出来るのか
実は楽器と絵という2つの趣味は、既に私のこれまでの短い人生の中でも15年以上親しんできたものでした。
ところが、最近はそれらは全く趣味と呼べるものではありませんでした。
何故でしょうか?
趣味がなくなった理由
そもそも私の趣味がなくなった理由は、大きく分けて次の2つです。
- 設定するハードルが高すぎた
- 一緒に楽しむ人がいなくなってしまった
それぞれ、先ほど挙げた「良い趣味」(下記参照)の要件に対応しています。
- 取り組むこと自体が自分自身を満足させる
- 共通の趣味を楽しめるコミュニティに属している
①設定するハードルが高すぎた
「良い趣味」の要件として、「①取り組むこと自体が自分自身を満足させる」を挙げました。
これはつまり、趣味に取り組むことそれ自体から満足感や喜びを感じることが出来る、ということです。
私の場合、「出来ない」状態を避け、自分の出来ることにしか取り組まないという性格が災いし、新しいことにチャレンジすることが出来なくなっていました。
これは、これまでに取り組んできたことの達成度と同じレベルを全てのことに求めてしまうからです。
そのせいで、今まで取り組んだことのないことに挑戦して世界を広げる、ということをしないため新しい趣味は一向に見つかりませんでした。
さらに、既にある程度深いところまで楽しめている趣味であっても、現状で持っているスキルで達成可能な範囲を逸脱したことにトライしようとする場合は、達成しなければいけないことのレベルが高すぎるように感じ、自分で高みを目指していく、ということが出来なくなっていました。
②一緒に楽しむ人がいなくなってしまった
私の場合、趣味がなくなったというより、「捨てた」と言った方が正確な部分もあります。
怪我などのやむを得ない事情や、規制が入ったなどの外部要因とは無関係だからです。
人間は、社会的動物です。
人と人との繋がりの中で生きていくことができます。
既にある程度取り組んでいた楽器と絵という趣味は、私にとっては仲間と共にやるからこそ楽しい趣味でした。
楽器は数人で合奏をしたり、オーケストラの中で弾いたりすることが楽しかったですし、絵も複数人で並んで描いたり合作を作ったりすることが楽しかったのです。
つまり、私にとってこれらの趣味はそれ自体が楽しいものではなく、仲間と交流するための一つの手段として捉えていたのです。
環境が変わり、楽器や絵を共に楽しむ仲間が沢山いるコミュニティから離れてしまったため、私は趣味としての楽器や絵を楽しむことが出来なくなり、捨ててしまったのです。
「良い趣味」の要件として挙げた「②共通の趣味を楽しめるコミュニティに属している」を満たすことが出来なくなったということですね。
趣味を再発見するためにはどうしたら良いのか
趣味がなくなった理由として挙げた2つの課題は、
- 設定するハードルが高すぎた
- 一緒に楽しむ人がいなくなってしまった
というものでした。
私は、それぞれの課題を解決することで再び良い趣味に出会えるのではないか、と考えました。
ただし、これまでのものを全て捨てて考えるのではなく、まずは今まで取り組んでいたものを再び趣味として楽しむことを優先しました。
つまり、「趣味の再発見」です。
私自身、なんとなく今までやっていたものを捨てるのはもったいないような気がしているのです。
また、楽器や絵そのものを楽しんでいたわけではないと言いつつも、演奏や練習することそれ自体を楽しんでいた瞬間や、一人で創作の世界に没頭していた瞬間があったことも事実です。
どうしてもそれが忘れられず、取り戻したくなったのです。
私は、上に挙げた課題に対応した次の2つのアプローチを取ることで、「趣味の再発見」を目指そうと思います。
- 上達までの過程を細分化する
- 周りを巻き込んで楽しめる環境を作る
①上達までの過程を細分化する
趣味が趣味でなくなってしまった理由として「①設定するハードルが高すぎた」というものを挙げましたが、どんなことでも高みを目指すことのハードルは高いものです。
私の場合、そのハードルを設定する単位が大きすぎたことが問題でした。
例えば「この曲を弾けるようになる」ということに対してのみハードルを設定すると、その過程で少しずつ成長していっていたとしてもそこに達成感を得ることが出来ません。
しかし、一曲の中で登場する技術や表現などを細分化して、それぞれにハードルを設定しておくことで、過程すらも満足感を得て楽しむことが出来るはずです。
これによって、趣味そのものを楽しむ感情が自分自身の中に芽生えるのではないでしょうか。
また、目標を曖昧なまま捉えるよりも、細分化して捉えることで精密さが増し、最終的な到達クオリティが高くなることも期待できます。
②周りを巻き込んで楽しめる環境を作る
趣味をなくした2つ目の理由として「②一緒に楽しむ人がいなくなってしまった」と書きましたが、これは一種の甘えだったのではないかと思います。
環境が欲しいならそこに行けばいいし、環境がないなら作ればいいのです。
幸い私にはこれまで楽器や絵といった趣味を共にしてきた仲間がいます。
彼らに連絡をとり、合奏の約束を取り付けたり合作の制作を行うことで、再び仲間と趣味を通じて交流することに繋がるのではないでしょうか。
趣味に対する向き合い方
ここまで、趣味について真面目に考えて記事を書いてきましたが、これを読んでくださった方の中には、「趣味なんだからそんなに深く考えずに楽しめばいいじゃないか」と考えた方もいらっしゃるかもしれません。
全くその通りで、そのように気楽に楽しめて気分転換になるようなものこそが趣味だと考えることも出来ると思います。
ただ、私の性格上、そのようにライトに取り組んでいるうちはあまり楽しめないのです。
ディープに取り組み深みにはまればはまるほど、楽しくなっていくのです。
人間の命は無限ではありません。
時間を使うということは、つまりはその分の命を消費するということです。
どんなことに時間を使うのかは、よく考えるべきだと私は思います。
自分の意思で、自分がしたいことを実現するために自分の時間を使い、全力で取り組んで命を削る。
これほどの喜びはないと思っています。
だからこそ、趣味であっても真面目に向き合い、分析し、より高いところへ、より深いところへと向かえるようにするべきだと考えているのです。
決してライトな趣味を否定しているわけではありませんが、もしこの記事を読んで少しでも自分の趣味への向き合い方を変えようと考えた方がいたら、それほど嬉しいことはありません。